先月のある日のことである。あるニュースサイトを見ていたら、「イラン大統領、安保理付託も、核開発継続を表明」というタイトルが目に入った。私にはこういう「も」の使い方に違和感がある。
この場合の「も」は(たとえ・・・・付託されたとしても)という言う意味だが、私の今までの言葉遣いの感覚では、こういう「も」は「〜するも」というように遣うのであって、名詞のあとに「も」がすぐ来るとすっきりしない。国語の授業では言葉を知らずよく赤恥をかいた、そんな私だが気になってしようがないのである。
私の感覚では、件のタイトルを「付託も」というところまで読んできても、逆接的ニュアンスが感じられない。そのあとの語句を見て、この「も」は逆説ではないかと判断するのである。その違和感は言葉の場合で説明するとわかりやすい。言葉の場合は、あとに続く語句はまだ聞こえないのだから「付託も」と言われても逆説だと判断できないから(付託も制裁も)の「も」とか(たとえば付託なども)の「も」のような気になる。そこでそのあとに逆説の「も」に続くような意味合いの語句が来ると、予測と違うので一瞬腑に落ちない感じがして違和感があるのである。
最近こういう「も」の用例が新聞の見出しやTVでよく見かける。TVではタイトルのみならずテロップでも見かける。私の感覚では、こういう「も」の用例は誤用である気がするのである。またTVのテロップなどでは、「弱冠」を「若干」と出したり、「不審」を「不振」と出したり、コンピューターで変換ミスして気づかずそのまま放送しては、あとで指摘されてかお詫びして訂正ということが多々ある印象もある。それでメディアに国語知らずが跋扈しているのではないかと気になってきた。
しかし自分の感覚が正しいのかどうか気になる。そこである辞書を見ると、この場合の「も」は逆接の仮定条件(たとえ・・・・であったとしても)を表す接続助詞で、多くは活用語の連体形につくとある。多くはとあるから名詞にも付くのかと他の辞書を見ると、形容詞・形容詞活用語の連用形、動詞・動詞的活用語の連体形につくとあるから、名詞に付くことはなさそうである。
それでも心配だから、インターネットの国語に関するサイトに逆説の「も」は名詞につくのか、また有名現代文書籍や古文で用例があったら教えて欲しいと質問してみた。回答を貰ったところでは、文法的に名詞につくことはないし、現代文・古文ともに名詞に「も」が付く逆接的用例は無いようである。今回のような用例については、見出しなどで短文化するために「緊急避難的に文法の無視」をしたものと考えられるという見解だった。
言葉が初めにあって、それを整理して文法ができたわけだから、文法に合っていない言葉遣いがあるからといって、あながちそれが間違いとは言えないことはあると思われる。しかし古来からそういう用例がないものを、国語で商売し国語を大切にと言うメディアが遣っているわけである。多分国語知らずがやっているからかもしれないという疑問は消えない。
補足: 気になる読み方のこと (H18.02.24)
今朝のあるTV局ニュースショーの新聞記事を読んで紹介するコーナーでのことである。民主党が疑惑の証拠として国会で出したいわゆる「堀江メール」がガセである気配が濃厚になったのを受けて、自民党が民主党について「くみしやすい」と評したとのことである。
その記事の見出し、ひらがなの「くみしやすい」をアナウンサーらしきが読み上げたのだが、得意げにわざと強調して「くみ・しやすい」と(・のところで間を空けて)読んだのである。
「くみしやすい」は「与し易い」であるから、間を空けて読むなら「くみし・やすい」である。どう見てもアナウンサーらしきはありえない言葉「組み・し易い」と思い込んでいるようである(「組み・易い」と混同していたのではないか)。メディアに国語知らずが跋扈しているのではないかと気になることしきりである。