屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.199 したたかさのこと  H18.01.30)

子供のしたたかさのことである。我が家には比較的大きな犬がいる。体重35Kgくらいの犬である。犬に慣れていないあるいは嫌いな人は見て怖気づくこともある。我が家の犬は私が見る限りおとしい犬でめったに吠えないし、人に飛びついたりしない。散歩のときに子供に出会うこともあるが、お座りをさせて、大丈夫だよ、さわりたければさわっていいよと言うと、小さい子供がさわってもなでられるままに黙っているような犬である。

我が家の犬とそういう関係があった小さな子供、多分小学1年かそれ以前の女の子のことである。最初子供たちが遊んでいるところを通ったときにその子が我が家の犬に興味を持ってさわりに来たのでさわらせたら、その後も出会うとなでに来たりしていた。大きな犬でも怖がらず平気なので私はうれしく思っていたのである。

ところがある日妻と一緒に犬の散歩に出たとき、その子が母親と一緒に歩いているところに出会ったのだが、そのとき母親の後ろに隠れながらその子が、お母さん、大きな犬で怖いと言ったのである。妻は、いつもさわって平気なのにおかしいのとさらりと母親宛に言い訳したのだが、私は母親にかまってもらいたいために我が家の犬を怖がる振りをした、つまり自分の欲求のために犬を悪者にしているのだといささか不快だった。

その印象から、どこかの大人が顔見知りの子供にいやらしい大人との汚名をかぶせられること無きにしもあらずという気がしてしまった。そして昨年報道された何らかの接点あるいは顔見知りの可能性がある大人が子供を誘拐したり殺したりするような事件に関連して少し考えるところがあった。

子供が大人相手に親の知らぬところで親しげな対応していたとする。相手は子供と友好関係にあると信頼していたところ、子供がなんらかの自分の都合で相手を悪者にしてしまったりあるいはひどいののしり言葉を浴びせたりする。その内容によりけりだが、その子供に惹かれていた相手が切れてしまうことも考えられる。子供が親の知らぬところで大人の相手をもてあそんでいないとも限らない。

子供が面白半分に大人をからかうことも考えられる。それにまじめな大人がひっかかりその気になったりあるいは反対にその態度を責めたりすると子供はわずらわしくなる。そして相手を悪者にすることで清算しようとする。大人の方は子供に言いつけられた親や周囲から非難されて逃げ場がなくなる。そういう子供のしたたかさの反動が子供に向くことだって考えられる。

好意的な大人を自分都合でうまく利用していた子供が、何かの拍子に本音が出て辛らつな言葉を言った。その相手がたまたま子供の言うことに切れてしまう人間だったらどうか。事件になる境界を越えるトリガーを引いたのは子供かもしれない。子供の言葉に切れる大人に問題があることは否定できないが、子供のしたたかさが破綻したということもあるのではないのかと気になったのである。

果たして大人を手玉に取るようなしたたかさが子供にあるかどうかは議論の余地はあるが、もしあるのだとすればそれは親や目に付く大人の素振り・生き方を真似てのことではないかと気になるのである。


 
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