屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.155 献花のこと H16.08.30)

卒業後2〜3回くらいしか会ったことがなかったが、年賀状だけは欠かさないできた茨城に住む学友が今年の6月亡くなった。グランドホッケーをやっていた色黒のスポーツマンという印象が強かったが、虚血性心不全で突然亡くなったとのことである。

専攻が同じの私たちグループは10名くらいだが、同じ飯を食った仲間意識が今に至るまで皆に強いようで、そのおかげで私も細々とつながっている。私は最劣等生の員数外に等しく、皆と距離を置いた人生を歩んできたから、健在証明のような毎年の年賀状や、たまの転勤、退職の知らせで大体の動向を知る程度であった。

6月下旬、そのグループの一人が電話をかけてきた。卒業以来初めての電話である。始めは彼から電話が来るなど全く念頭にないから、苗字を聞いても同じ苗字のあの人かこの人かと名前を挙げて確認をしてやっと学友と気がつく始末だったが、その彼の初めての電話が、グループの一人が亡くなったという知らせであった。

亡くなった学友の近くに住んでいる数人で葬儀に出る。香典は出さないでグループ名で生花を出す、精算は後で連絡する。心あれば奥さん宛に弔電を打ってくれということだった。私は電報を打った。

葬儀がすんだ翌日か翌々日、葬儀場での生花の写真とグループの名簿改訂版を添付したメールが来て、分担費用はいくら、ここに振り込んでくれとあって、それを送金した。名簿改訂版の亡くなった学友の備考欄は死亡となっていた。

今回なくなった学友の場合、親しい学友が近くに住んでいる。亡くなった連絡はすぐに入っただろうから、その彼がグループの仲間に連絡を取ってこういう対応になったものと思われる。

自分が死んだときを考えてみると、まず親しく連絡を取っている学友はいない。だから家族も学友のことは知らない。多分死んだのを知らず年賀状が来て、家族が死んだと返事を出して私が死んだことが学友に知れることになると思われる。

だから多分私の時は学友からの生花や弔電はない。また退職した会社の企業年金事務局に連絡すると会社名で花輪が出るということになっているが、近くに同じ会社だった親しい知人もいないし、家族もそんな連絡をする余裕があるとは考えられない。私が死んでも生前をしのばせるような生花や花輪はないはずである。


 
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