屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.152 屋久島(85):窯のこと H16.08.11)

(屋久島事情の参考になればと、陶芸に関連する掲示板への二つの投稿を転載いたします。投稿者実名はイニシャルに、居住集落名は町名に変えてあります。)

1: 趣味の陶芸  (Y.O.さん)   (H15.12.07)   

屋久町に移住して3年、趣味で陶芸を行っています。産業祭、文化祭に陶器を販売、展示しています。プロと比べれば腕は比較しようもありませんが、時間と食の裏づけがありますからいかに楽しんでするかを心がけています。

屋久島焼きが役場に展示されていますが、その窯跡を最近探索しました。その窯は平内海中温泉の入り口の山手側にありました。すでに廃棄されて10年以上経ちますので、雑林に覆われていますが、まだ窯は存在します。いまどき登り窯を作ろうとすれば1000万以上かかります。

どうにかしてこの窯の保存と使用を考えたいものです。平内の皆さんの協力を得てこの計画を実行したいものです。まずは屋久島焼きの歴史を知り、区長さん、議員さんに相談します。

屋久島焼きの窯の保存と使用計画に興味のある方はMailしてください。


2: 天声人語もどきになつてしまつた(島旅好人さん(H15.12.07)

鹿児島県で陶芸が発展して来た理由の一つに島津藩が関が原の合戦以降の財政難克服のために直轄領地で長崎、佐賀あたりから又は朝鮮からスカウトして来た陶工にて焼かせていたとのこと又土は西天草から帆船で運んで来たとの記録も残っている。

現在はどうかと云うと、名を成したプロは本格的な窯を持ち豊富な資金力で上質の物のみを展示販売していて、アマチュアは専ら電気かガス窯活用が主流の様である。

さて、今では屋久島には全国からプロ、セミプロ、素人など数多く移り住んで来て、自分の生活の糧にと小さな窯で焼いておられる様である。其の中でも、ちょっと島で名前の通った窯元は安房の山下さん太良窯、宮之浦琴岳西麓小原町で博多からの移住者など等今や各集落に1箇所位数えることが出来るのではないかと思うほど増えている。

この様な屋久島陶芸界で平内温泉入り口県道北側にある窯がなぜ火を落としたのかその原因を最初に知ってから論議を進める方がベターではないか。

その窯はハンディを背負った子供さんのために親父が必死になって作った物である事は平内西部の人なら知っているはず。廃窯の一番の原因は薪の入手困難にあると聞いている。登り窯の高温1000度から1200度を長時間維持する為には雑木、杉や防風林、防潮林の柔らかい物では不可能であって、良い焼き物を焼く為には松が必要なのである。

次に窯の周辺にある果樹園への煙り公害。最近では移住者住宅が近くへどんどん建って来て喘息のためクリーンな空気を求めてやって来たのに煙にむせぶ平内ではどうしてくれる。などその補償に莫大な要求が出始めたこと。さらには都市化しつつある場所での煙り公害は屋久島の観光イメージを壊すという理由。煙の出ない車クリーンエンジン、電気自動車の時代に行政は簡単にOKを出せなくなってきている。

単なる窯遺跡なら教育委員会が受け付けるかも知れないが年代が浅すぎる。どうだろう。しっかり検討してみたらどうかな。芸術家の欲望を適える時には逆転の発想も必要だが、平内はもう僻地ではなく都市化のひよこみたいな物であることを忘れてはなるまい。引き際にお金のかかる事個人の少々の金では対応できまいと思うのだがどうだろう。


 
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