屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.151 屋久島(84):温泉のこと H16.07.26)

長野の白骨温泉で、いくつかの施設や旅館で温泉の湯に入浴剤を入れていたことが発覚して問題になった。湯が白濁しているのがこの温泉の売りだったが、その温泉井戸湯が出なくなり新しい井戸にしたら透明な湯になったためイメージを保つために入れたということらしい。

よく温泉には成分分析表と効能書きが表示してある。新しい井戸の湯にしたら成分も変わるだろうと思うのだが、今までどおりの湯だということで売っていたわけだから変わったということは公開していなかったと思われる。あるいは成分には変化はなかったから公開していなかったということかもしれないが、白濁しないということだとそれはないという感じがする。

私の住む近辺には、温泉がいくつかある。尾之間温泉、平内海中温泉、湯泊温泉。これらは自然に湧いてきている湯を湯船に入れているということだから「温泉という名の温泉」である。だだし平内海中温泉は海水が流れ込んで湯に混じる。しかし人工で操作しているわけではないから「温泉という名の温泉」であることを否定する人はいないと思われる。どこかにあまり熱い湯なので水で薄めて入る温泉があるかどうか知らないが、それも「温泉という名の温泉」と言ってよいと思われる。

ところで、大きな施設などで浴場を温泉と言っているところがある。私はそういういわゆる温泉には、遠藤周作の「猫という名の犬」だったか「犬という名の猫」だったかのように、「温泉という名の風呂」が多いのではないかと思っている。意識してかどうか知らないが、白骨温泉の件の施設や旅館も白骨温泉という名の風呂を営業していたわけである。

今は知らないが私の知る大きな施設では、浴場に温泉の名を付けていた。成分表や効能書きも貼ってあった。しかしその浴場は私に言わせれば「温泉という名の風呂」であった。普通の井戸の真水を温めて大浴槽に張る、そこに湯量の少ない温泉井戸の湯をおまじないみたいに流し込んでいた。その浴槽の湯を濾過器に循環させ、かぶったりあふれて不足した分は真水の湯を補充していた。濾過器の出口で消毒あるいはレジオネラ対策で次亜塩素酸ソーダ溶液いわゆる塩素を注入していた。

浴場としては立派なシステムであるが、これが温泉という名に値するかと不思議に思ったことがある。混ぜている温泉の湯を分析すれば表示のごとくで効能もそうであろうとは思うが、温泉というからには温泉の湯に真水の湯を少し足すくらいでないと、表示はウソになってしまうと思ったことである。

そういうところに入浴してよい温泉だったという人もいるのだから、これが温泉だと分かって温泉に入っている人ばかりではなさそうである。風呂でも名が温泉とつけば温泉気分になる。入浴剤混入当初から発覚までそれを知らずに本物の白骨温泉だと入浴していた人たちも温泉という名で温泉気分になったわけである。素人には「温泉という名の温泉」と「温泉という名の風呂」の区別はなかなかつけにくいようである。


 
 Home   back