先日、三菱ふそうのハブの欠陥隠し事件で三菱自動車時代の上層部が逮捕された。三菱自動車は先年のリコール隠しの不祥事があったにもかかわらず、学習せずまだ似たようなことを隠していたかと世間から非難されることしきりである。このグローバル化の時代に日本に自動車会社は多すぎる。信頼を失った三菱自動車を再建することはない。もういらないのではないかという意見を言う人もいるようである。
私は今回の逮捕を見て、悪(ワル)をして許される組織は上層部が悪(ワル)をよしとするあるいは悪(ワル)をすることを求めるからそうなるのだと、隠しページのNo.10「雪印食中毒事件に思うこと」(H12.07.15)で述べた考えを今さらながら再確認したような気分である。私の考えるところ、周辺の飾りを削り去り極端化してその筋のみに焦点を当てて見てみれば、悪の体質形成は以下のようになされると思われる。
普通の人間は、権力のあるものからの指示には逆らえない、あるいは言われるままに従ってしまうものである。自分では疑問を持っていても上層部が悪をなせといえば疑問を質すよりは、楽な気分でそれに加担してしまうものである。そして次第にそうすることに罪の意識が希薄になる。そういうふうにして消極的にではあるが悪に加担している人は多いと思われる。
しかし、上層部に取り入るために初めから悪に積極的に加担するものもいると思われる。上層部の悪をよしとするあるいは悪をすることを求める姿勢に敏感に反応して、大体は悪をすることにより組織すなわち上層部を守ってその地位を得ていくのである。大体はこういう初めから悪をやってでも立身をねらう手合いが上に引き上げられるから、上層部はどんどん悪に鈍感になっていくのである。
初めは悪はいやだと躊躇して、結果逆らえなかった人間は警戒されて上に引き上げられない。消極的に悪に加担していた人間もその程度が増していけば躊躇するものも出てくる。上層部が悪をよしとする組織はそれを暴かれるのが嫌だから、良心のある人間は上に行くに従って心正しい順に徐々に排除されていくのである。そしてトップが代われば悪で成り上がったものがその跡をついで、ついには組織を危うくする。
以上、上層部が欠陥隠しをたくらんで逮捕された事件から、悪をよしとする組織の体質がどういう具合に形成されるかを極端化して考察してみた。組織の体質というのは上に立つものの体質である。悪の組織は自己崩壊するか他の支配者に乗っ取られないと変わらないのではないかという気がする。三菱ふそうは既に外資に乗っ取られているから立ち直るのではと思われるが、最近また三菱自動車時代のクラッチの欠陥隠しが発覚して前途多難である。
多かれ少なかれまずい事実に正対して取り組もうという人間は、本質的解決よりは組織を守る解決法を主張する人間に駆逐される。上に立つものがそう望むからである。これも前述の考察も私が偉そうに言うのではない。古より徳のない天子のもと国は治まらないと言われてきたことを今に即して言ってみただけのことである。組織はそういう危険を常にはらんでいる。アブグレイブの虐待あるいは拷問やいろいろ問題を指摘されている官僚組織もそうかもしれない。
補足: またまたのこと (H16.06.03)
今日のTVニュースによれば、三菱自動車からまだ数多くの欠陥隠しをしていたことが発表されたようである。