屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.142 覚悟のこと H16.04.19)

4月8日イラクで邦人誘拐事件が発生し、その被害者3人の救出がこのところの日本での関心事であった。他の国でも誘拐された人が出ているが、それらの国ではどう扱われ家族がどう対応しているかあまり報道されていない。多分被害者家族は心中ではなんとしてでも生きて救出できないかという思いでいっぱいと思われる。

件の家族の一部にはその思いを周囲にぶつけて噛み付き叫ぶ姿が見られたが、一方で家族を殺されたイラク人の物静かに悲しみの思いをぶつける映像の記憶もある。日本では救出の努力をしてくれるように訴える相手がいて、それも感情的な非難をも黙って受けているのを見れば、イラクの家族よりずいぶん恵まれているように思える。

被害者救出を願わぬものはいない。国としても万全の手を尽くして救出の努力をして欲しい。しかしそれにも限度はある。イラク派兵は多分自衛隊員の万が一の死というものは前提である。それだけの決断による派兵と3人の命とを引き換えにする取引は無いと考えるのが常識である。国としてははっきり言わないが、国の決定を変えない条件の中で最大限の努力をする、しかしその努力の及ばないときは諦めてくれということである。それを知っておくことが覚悟である。

国はイラクに入国しないように警告をしていた。それを無視して自己責任で入国した。つまり被害者は死を覚悟して入国した。入国前に残したメールとかメモで「あとは運次第」とか危ない状況への不安を述べているし、ホテルなどで入国を控えることを周りの人から忠告されていたという報道もあった。本人たちは覚悟して入国したと誰でも思う。だからその覚悟を家族もそれなりに受け止めていると思っていたら、国の救出の対応に感情的に噛み付くのを見て違和感を持った人もいるようである。

家族にそれを指摘するメールやファックスあるいは電話が来て、冷静さを欠いていたと謝罪する場面もあった。日本人はみな心情として、家族のただただ助けて欲しいという思いは理解しているが、やるときは勝手にやってまずいときだけ助けるのは当然と噛み付く身勝手さには納得できない人は多いと思われる。つらいなかで大変だが、抑制の効いた対応が世間の応援を得るには必要ということのようである。

私は、家族はまずくいったら諦めるという覚悟は持って、感情的にならず国や皆さんに迷惑をかけたが家族としては救出をぜひともお願いしたいと、ひたすら頼むのが良いと、家族の報道が出てきたときに思っていた。私も助かって欲しいと願いつつも被害者家族の噛み付く姿勢には違和感を覚えていた。

イラク派兵と無関係な、イラクの人々ために活動している人たちである。民間人を巻き込むのはよくない。誘拐はよくない。家族は心配している。助けてくれ。これはどんどん言ってよいと思われる。政府の決断には反対の被害者たちであっても、救出には政府を頼むしかない。政府を攻撃するのは得策でなかった。

高遠きょうだい以外ははじめから自己責任を意識してそれなりの対応をしかけていたように見えたが、高遠きょうだいに引きずられてしまったのかもしれない。高遠さんの母親がそれを見かねてきょうだいをたしなめる会見をしてから謙虚で冷静な対応に変じて、以後は世間がみな応援したいという気持ちを素直に持てるようになったと思われる。

今回件の3人は「運悪く」誘拐されたが、「運良く」殺されずに4月15日開放された。彼らは「あとは運次第」と言って出かけその結果国や国民その他各方面に迷惑や心配をかけたが、誰も救出活動をしてくれずに死んでもそれでよしとの覚悟があったという言葉を聞かないと私は釈然としない。彼らのイラク入国目的や使命感の是非の論議は別にして、運を頼りに危険に飛び込む行動についてそれなりの覚悟がなかったということなら軽率のそしりは免れない。

4月15日にはジャーナリスト2人行方不明になった。本人たちはどうだったか知らないが、本人たちが覚悟してのことという感じで周辺の団体や家族の対応は3人の例に比較して冷静な感じであった。17日に開放されたあと家族が涙を流して喜んでいる映像を見たが、私はこちらのケースの対応の方が自分の感性にあっていて、違和感は少ない。


補足: 記者会見TVを見てのこと (H16.05.01)

昨日、郡山氏と今井氏の記者会見のニュースを見ての感想である。

今井氏だかが出発前「あとは運次第」とか「何かが起こるから待っていて」というようなメールを発信していたということが事件発生後報じられ、私はそれが気になっていたのたが、その意味するところについての追求質問はなかったみたいである。安易な気持ちでイラクへ行ったのではと気になっていたのであるが、その疑念は晴れなかった。

またそれが功を奏したかどうかは別にしても、国が多勢の人と多額の費用をつかって救出のために活動してくれたものと私は信じている。二人にそういうことを意識した発言がないのも気になった。

私は家族の対応について、支援組織のようなものがあまりに牛耳っているような印象を持っていた。事件発生直後どこかの組織が政治的利用を狙った気もしている。それに家族が乗せられたのではないか。その勢力の動きに政府サイドが自己責任論で応戦したのではないか。それで家族がバッシングされ、自己責任論で被害者も苦しめられることになったのではないか。

メディアがそういう疑問を解明しようと突っ込んで見て欲しかった。二人は帰国以来記者会見までにかなり国内事情を学習できたのだから、なぜ国内で騒動になったか理解していたはずである。


 
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