屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.133 屋久島(74):隠居のこと H15.12.01)

屋久島に来て、私たち夫婦はあまり外を出歩かない。たまに外に出かけることがあって初めての人に会ったりすると、よく何をしているのかと聞かれる。人にわかるように何かして暮らしていないといけないのかと、なにか理屈をつけてこうしているなどと説明していたのだが、最近面倒くさくなった妻が対策を考えついて、隠居生活をしていますと言うようになった。

私がたまに顔を合わせる人の一人に、会う度に顔を見ないから死んだかと思ったと言われ続けたことがある。なにか含むところがあるのかといぶかしく思いつつ、そのたびに何か理屈をつけて顔を会わせる機会の少ないことの言い訳をしなければならない。最後には毎回死んだかと思ったという挨拶とそれに対抗して言い訳をすることが嫌になって、なるべく顔を合わせたくないと思うようになってしまったことがある。今度会ったら隠居しているからとやり過ごせばよいと思うと気が楽になる。

言われるのをなるべく避けたいことというのは他にもある。屋久島縄文何とかという本に、著者の自称ブーちゃんが田舎だから世間の権威とか序列から距離を置いた意識で暮らしていると想像していたら、やたらと何をやっていたの、地位はどうだったのと詮索するというような意味のことを書いていた記憶がある。私も出身学校はどこかとか、どこの会社にいたのかとか、何をやっていたのかとか詮索され嫌だったことがある。

私の感想では、田舎の人ほど社会的な地位とか権威に弱いようである。自分で人の能力をはかることが出来ないからそういうものに頼っているのではないかと思われる。口では地位や権威には頓着ない生活をしていると嘯いていてもそれは強く意識していることの裏返しである。

私は学校や職場では、落第生に近い評価だったから、人に誇って言うに恥ずかしいということもあるが、そういう世間の評価から距離を置いた気分で過ごしたいというのも田舎へ来た一つの理由である。常々経歴ばなしにはそっけなく対応しているのだがそれですまないときは、これからは隠居生活には関係ないと口封じをしてみようと思っている。

ところで隠居のことである。私は、子どもの頃からいろいろなことに興味を持つのだが、これだというものになかなかめぐり合うことはなかった。学校時代にしろ仕事にしろ、そのときそのときそれなりにやってきたつもりはあるが、まだこれは自分のやりたいことではないと、いつも過客のような気分で過ごしてきた。そして今は年金暮らしである。今感じるのは今がこれまでの人生で最も自分に合った生活だということである。能力のない割りに何かやっても自分の思いは別にあるような気がして満足しないできた私には、なるようになってそれでよい生活は新しい境地である。私としては、これを隠居生活と言うのだと思っている。

補足: 隠居について思うこと (H15.12.05)

島旅好人さんから「隠居のこと」に関連して、
               当時掲示板に投稿いただいた内容を転載いたします。
)  (H16.08.11転載)

佐野衆一著「老い方の探求」の中に加齢に伴い、他人と会うのが鬱陶しくなって来たとあり、自分が死んでがん桶に入った己の顔に唾のかかる距離まで顔を近づけて最後の挨拶をする葬儀参列者などもってのほかだ云々とある。又山口瞳著「隠居志願」には47歳であるけれど、その肉体年齢は優に60歳を超えていると思われる。耳は達者だが、逆に音響というものが気になって仕方が無いるこれを老人と言わずして何を老人というのか。

隠居というと、消極の最たるものと考えられがちだが私はそうは思わない。

隠居は結構忙しいのだ。町内の世話をやく。祭りがあれば出ていって余計な事をいう。若い者に意見する。時に俳句をつくったりする。小鳥を飼う。盆栽の手入れをする。朝は当然早く起きる。食事は三度三度きちんといただく。頭は呆けても食欲だけは衰えないものだ。晴耕雨読。テレビなんぞは見ない。服装は粗末なものでいい。夜は早く寝る。医者に言われた薬はキチンと服用する。晩酌は二合まで。会合に出ない。これが著者の積極的隠居論であると。実はこうすれば糖尿病も治ってしまうのではないか。

問題は金です。小金無く家作なき隠居と言うのは乞食になってしまう。ああ。いつでもどんな場合でも、問題は金なのだと。

次に、田舎の人と都会人について思うこと。都会に住んでいても隣は何をする者ぞ、と挨拶すらしないで暮らす事も出来るし、其のほうが相手にも迷惑をかけづ良い場合だってある。関東都市部でのマンション住まいの場合は殆んど会っても目礼程度で済ましますよね。それとは逆に田舎では子供たちにも道で会ったら大きな声で挨拶しましょうとか看板まで出ていますよね。礼儀は大切だと教えているのでしょう。このへんが町から地方へ移った時に煩わしさを感じさせるのかもしれませんね。いずれにしても何事も余り深か読みせず気楽に考え暮らす事、義理を欠き、見栄を捨てバランス感覚を大切に生きること。これ隠居と小生は信じております。失礼しました。


 
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