屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.132 ある話題のこと H15.11.17)

教師が全てそうだというわけでもないことは分かっているのに、その印象が強烈なのか、女性同士が集まって教師のはなしになったら、ほとんどがそうだそうだと意見がまとまってしまったという話題のことである。私はあまり遭遇することがなかったが、もしかしたら女の子や女親たちは、そういう印象を持ちやすい、あるいは持たされる機会が多いということかもしれない。

妻が旅行に行って面白い土産ばなしをもって帰って来た。久しぶりに会った友人の近くでむかし小学校の教師をやっていた人がやたらと威張った態度をとると陰口をたたかれているというはなしである。(注:話の筋から察すると威張るというのは嫌な振る舞いをされるという意味も含んでいるような感じがある)。妻たちはその話題に、義務教育の学校(といっても小学校のよう)の先生は威張る、先生のみならず奥さんも人を見下した物言いをするのがいる、さらには子どもにもそうするものがいる、またとっくのむかしに大人になっているのに相変わらず威張られる、というような悪印象をあげつらって盛り上がったとのことである。

ある人の経験では当人に対してXX先生と呼んで、奥さんにはさん付けで呼ぶと怪訝な顔をされたことがある。また校長の奥さんに一般の教師の奥さんたちが目下のものに対するように仕切られているのを見かけたこともある。奥さん同士は教師ではないから、日常の生活ではどこの奥さんとも変わらない。敬意はもって接するが、周りはあまり卑屈になることはないのではないかと思ったそうである。いまは子どもが学校に行くわけでもない年になって、接触する機会が少ないのにこういうことがあるのだから、生徒や母親においては教師の嫌な面を見ることは結構日常的経験なのかもしれないというのがその人の感想である。

なぜ威張るという印象が強いのか考えると、子ども相手に自分の優位性を疑うことなく接する教師がいても、教師による評価がその後の人生の方向を決め兼ねない一面があるから、まだ力のない子どもとその子どもを心配する親は先生の権力に反発を示さずに来た、その嫌な思いを持ち続けているからだと思われる。

なぜ威張ることが普通になるか、学校を出てすぐから威張っても咎めのない状況下で過ごし、子どもやその父兄の類の人間には自分の言うことが何でも通ると思い込んでしまうからだ。そしてその教師の振る舞いがその奥さんや子どもにまで移ってしまう。地方などで教員住宅や子どもの家がかたまってあったりすれば、教師の家の間にも序列が出来たり、子どもの家では教師に頭が上がらないということも出てくる。よく世間で言われている職場環境が世間知らずの教師を作るという説に妻たちの意見は落ち着くようである。

しかし私はその説には疑問を持っている。私の経験では威張らない教師がほとんどだし、一方会社生活においても威張る人間に悩まされたこともある。それを思えば、やはりもともとの人となりに原因があるように思える。どこにでもそういう性向の人間はいるのだから学校の運営管理あるいは人事に問題があると思われる。

多分実際は威張るような教師は数少ないのだが、一人でもいれば生徒や親は全員それを見聞きすることが日常で、その印象が大勢の生徒とその親に強く残ってしまうということだと思われる。ほとんどの教師は人に優しく、自分の限界と世の中の大きさを知っているし、藍は藍より出でて藍より青いということへの畏れもあるから、自信はあっても謙虚に振舞っていると思われる。ほんの少数の威張る教師のために悪い印象でくくられてしまうのは、ほとんどの教師には迷惑な話である。

妻の友人たちの例では50代半ばを過ぎても、むかしの教師への尊敬を失わず会う機会を作ったり旅行をしたりしている人もいる。だがそういう人たちでさえも教師の話題になると嫌な思い出ばかりが口をついて出てきたわけである。人はよいことはあまり憶えていないが嫌だったことはいつまでも忘れないというが、威張る教師の印象は強烈に頭に焼き付いているようである。少ない体験でも教師というものへの印象を支配するほど、教師の威張るような振る舞いに嫌悪感を持ったのだが表面それを我慢してやり過ごしてきたのかもしれないと思ったことである。


 
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