屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.124 屋久島(72):売り家のこと H15.07.28)

私が越してきてから今年で8年以上たつが、昨年あたりから近所で売り家が出るようになった。その位の時間が経つと、いろいろ事情が出てくるようである。その事情の詮索はさておいて、そういう状況を見て思ったのは、家を建てるときはあまり気張って高価な家を建てることはないのではということである。

ある売り家は、初め2500万円くらいで出ていた。それがなかなか売れないようで何回か値下げを繰り返して今は1000万円くらいになっている。初めは元を取ろうと思うから、かけたお金に見合うくらいの値付けをするのだと思うが、それでは売れない。見ているとほとんどの例で値下げを余儀なくされている。

町ではこのところ町営住宅などを増やすくらい住宅事情は悪いはずだが、その割りに地元の買い手はなかなか出ないようである。多分都会生活から逃れたいと思っている若い人やあるいはそう思ってもう住み着いた若い人はまだ金がない。家を持ちたいという地元の人やUターンの人がいたとしても、土地に困ってはいないだろうし地縁もあるから、売り家と同じくらいの家を建てれば相当安くなるということかもしれない。

仲介業者も多分、主に田舎暮らし希望者に売ろうとしているのだと思われる。しかし金に余裕があって田舎暮らしをしようと言う人は住む家のかたちにも思い入れがあるから、よっぽど気に入らなければ自分で建てようということになる。それでなかなか買い手がつかないのではないかと思われる。

売ろうとすれば安くしか売れない。そうだとすれば、定住とは言え、自分の代だけしか利用しなそう、あるいは健康やその他の事情で将来売りに出す可能性がありそうな人は、あまり高価な家を建てることはない。土地は値上がりせず家屋は減価していくから売る時は、いくらきれいに住んでも取得額を回収できない。差額は借家の賃貸料だと思って割り切るしかなさそうである。

子どもが田舎に来て一緒に暮らして本人亡き後その家に続けて住むというような可能性はほとんどない。聞いたはなしでは、家は死んだら子どもにやると言ったら、使いもしないものはいらないと言われた人もいるらしい。子どもにとっては親が思い入れをもって建てた高価な家をもらっても住まなければ金がかかるだけ、どうせ安く売るしかないなら初めから安い家を建てて差額を残してもらうほうが良いということかもしれない。

まあ、思い入れを誇るような高価な家を建てる人は少なくともそれで本人が困ることはない人である。どんどん立派な家を建てることを楽しんだらよい。しかし私のように金はなくても田舎に家を建てて住んでみたいというような人は、べらぼうな思い入れたっぷりの高価な家を建てるのは冒険である。いくら永住ねらいで来ても事情が変わることもある。将来自分が売りに出す可能性もあるのだから、その後の備えあってこそ田舎暮らしも十分楽しめるというものである。

ところで実際にものすごく凝った高そうな家があるかといえば、そうそうは見当たらない。なかなか売れない家を見て、高い家を建てたら後で困りそうだと、ただ私がそういう感想をもっただけのことで、現実は皆それなりの判断で建てているようである。


 
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