屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.123 屋久島(71):目の前に家のこと H15.07.14)

自分の土地に家を建てるのだから、これは多分文句が言えないことである。日照に支障があるわけでもないが、後ろの家の視界を妨げるような背の高い家である。別荘地で他に土地はある。わざわざ前方隣接の土地に、居住空間確保のためにかどうかしらないが、背の高い家を建てることはない。周りから見るとそんな気がする家が今近くに建ちつつある。

こういうことを話題にすると、家を建てるなら早い者勝ちだ。あとから建てることになった方が近所の迷惑にならないよう自制すべきだと言っているように取られるかもしれない。そういう非難をされても致し方ない一面もあるから、最初に「これは多分文句が言えないことである」と断っている。世の中、その仕組み上から見れば手前勝手な都合だから文句をつけることの出来ないことだと分かっていても、面白くないという気持ちを持ってしまうことはあるものである。

空いている土地がまだまだあるのに、わざわざ目の前の狭い土地に前を塞ぐような背の高い家が建つ。既に建って10年くらいになろうかという後ろの家は、今いやな気分でいるのではないかと、ちょっと気にかかるのである。後ろの家の人が何か言っていたとかいうことではない。私が散歩でそばを通ると目についてしまうのである。他人の私でも見ただけでその身になればいやだなという建て方に見えるから、後ろの家の人はどう思っているかと同情的な感想を持ってしまうのである。多分近所がいやがるようなことに敏感な地元の不動産業者や大工さんはそれなりの意見具申はしたかもしれない。しかし施主にもそれなりの思い入れもあろうし、何しろ背の高い家は建ちつつある。

文句は言えないことではある。しかし、都会の住宅団地ではなし、狭い土地にひしめき合って家を建てることもない田舎の、それもわざわざ別荘地を選んで移ってくるには後ろの家の人も土地選びや家つくりにそれなりの思い入れがあったはずである。私だったらその思いが妨げられ文句もつけられないとなればその不愉快はずっと消えないと思われる。

自分が家を建てたそのあとで周囲に視界をさえぎる家が建つかもしれない可能性がある。そうなって面白くない気分をずっと引きずって過ごすのはいやだ。そう考える人には事前に周辺の土地まで購入してしまう例が見受けられる。数軒はある。それが出来るのは資金に余裕のある一部の人である。

大体の当地近辺を開発初期に買った人は、点在して開発されたそういう心配のない土地を買ったつもりでいる。だが、周辺は雑木林だと思っていたら、そのすぐ後に家の周りを開発されてその土地が売り出され家が建ち始めるということもある。後から土地を買う人だって視界のよさそうなところを買うから、既に家が建っていればその前や横の方を買うか、その家が邪魔にならない後ろの土地を買う。団地まがいに隣接して何区画も開発されたところで既に家が建っている周辺の売れ残っているあるいは売れていても家が建たない土地は、建っている家が目障りな物件ということになる。また人の家の視界を妨げるように建っている家があればそれは多分後から建った家である。
 

補足: 木が邪魔  [2011(H23).04.09]

本文とは逆のことである。家が十数年前からに建っているその後ろの土地を購入して家を建てた人が、海が見えないからと前の家にクレームをつけ そこの亡くなったおじいさんが大事に育てた木を切らせたというはなしがある。以前から自分の買った土地の前に家があり木も植わっている。それが分かって土地を買い家を建てたのだから、ちょっと普通でない感じがする。


 
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