屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.104 友とするに、のこと H14.10.07)

「徒然草」第一一七段
友とするに悪(わろ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵(つはもの)。六つには、戯言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには、医師(くすし)。三つには、知恵ある友。

最近本を読んでいたら、この段を引用している文章に出会った。一つは、日野原重明著の「道をてらす光」(春秋社)。もう一つは、保坂正康著の「晩年の研究」(講談社)である。偶然に2冊続けて徒然草の「友とするに」を引用した文章に出会ったのでその印象が強く残った。以下その感想である。

前者は、著者が医師として過ごしてきたなかで強い印象あるいは影響を与えられた言葉を集めたものだが、そのなかで「病むことの意味」と題して亀井勝一郎の「病気をしたことのない人間が健康なのではない。病気をして、それを克服した人が健康なのである。健康とは抵抗と克服の証なのだ。」を挙げている。そしてその解説文において、亀井勝一郎が徒然草の当該段を示して、兼行は「健康であることを軽蔑したのではなく、病身によって鍛えられた人の心のまろやかさ、思いやりの深さをよく知って、友とするによいと考えたのだろう」というようなことを述べていると紹介している。

後者は、「人生の晩年」を考える本である。10人の実例から晩年に備える構えをどうすべきか論じたものである。その本のあとがきで、著者は徒然草の当該段を引用し兼行の気持ちは「晩年になったらこういう友は持ちたくない」という意味に解釈できるとして、自分も晩年になったら七つのタイプの「わろき者」とは交友を絶とう。そして「よき友」を大切にしよう。自分の晩年は「わろき者」でありたくないと自戒している。晩年に大切なのは内面の誇りとともに外見の様相(老いてなお目の輝きを失わず、身だしなみが行き届き、下劣な冗談は言わず、ユーモアを解す話題豊かな人)である。そう心がけたい。またそういう姿勢が感じられる人は「友とするにわろき者」ではないと言っている。

さて私自身のことである。私は「友としてわろき者」の七つには該当しない。そう思っている。しかしあまり友は出来ない。「よき友」と言う面では、私はケチである。また医師でもない。「知恵ある友」に少しは該当するかと思いたいが、実際を見れば友があまりいないと言うことは、知恵もないということである。様相も大体のところよくない。しかしかろうじて屋久島では妻に見捨てられず暮らしているから、多分友と見てくれる人一人はいる。妻のよき友であるよう努めていくのが私の晩年かもしれない。

また私は当HPの隠しページで、ちょっと引っかかることを言ったりしたりする人などについて細かいことをあげつらったりするのだが、それは晩年に向けて「友とするにわろき者」を峻別しようという気持ちのあらわれかもしれない。実際になんとなく交友を遠慮するようになったこともあるが、「友とするにわろき者」を避けることを無意識にしていたようである。

年を重ねて来てからは若く勇ましいのを疎ましく思うのもそのせいかも知れない。私は屋久島でホテルの下働きの作業員をしたことがあるが、30くらいの若いのと一緒にやるとき、知恵より体力勝負で強引にやるのに付き合わねばならず閉口したことがある。老害はよく言われるが、若害もある。そういうことに想像性のない若い者は本当に友とするには適さないものである。

妻に言わせれば、私は「友とするにわろき者」と見る感覚が厳しすぎるらしい。様相にそれが出ているらしい。それが私に友があまりいない本当の理由で、大概の人にとって私は「わろき者」であるということのようである。しかしそれでも私は今を穏やかに過ごしている。その訳はと言われれば、妻にはよき友が何人かいるが、私は妻の交友のおこぼれのなかに自分のよき友からの言葉を聞いているような気がしているからかもしれない。


 
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