屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.102 不正と告発のこと H14.09.09)

東京電力の原子炉トラブル隠蔽が発覚して問題になっているが、外資系検査会社社員の内部告発で明るみに出たらしい。80年代から90年代にかけてのはなしということだが、今もそのトラブルを抱えて稼動しているものもあるとのことである。トラブルの許容基準を定めていないから、許容できる類のトラブルでもトラブルがあったと書けば原子炉事故に敏感な世間が大騒ぎをする。そう思って隠すことにしたらしい。

内部告発をする人は何らかのきっかけである目的達成のために告発を手段として択ぶ訳である。そのきっかけは多分処遇に対する不満、リストラなど今まで不正をする側にいて組織に忠誠を尽くしてきた人がその気持ちを裏切られたりして、組織に復讐したいあるいは懲らしめたいという気持ちからではないかと思われる。あるいは告発が自分の利益例えば金になるということもあるかもしれない。正義感で不正を見過ごすことが出来ないから内部告発するということは少ないのではないかと思われる。

日本の現状では、内部告発をした人などは会社から不利な扱いを受ける可能性が高いから普通は内部告発する可能性は低い。内部告発は何らかの原因で会社に不満や憤りを感じた人間、会社から不利益を受けたと思う人間がする可能性が高い、だからこれからは利益重視偏重でなく社員を大切にする経営が戻ってくるのではないかという見方をしている向きもある。

確かに、組織に忠誠を尽くす、そしてそれに見合った処遇(それは今までは少なからず終身雇用の安心だったかもしれない)で報われれば内部告発事件は特別の事情がない限り可能性はかなり低いと思われる。しかしその論議は、組織のためなら不当なことをしても表に出なければしたほうが得だ、という考えを会社の上層部が肯定しているということを前提としている。

犯人がアニータへ11億円も渡したことで有名な横領事件のあった組織の上層部はまったくおめでたい人たちのようだったが、会社の不正事件の大体はバレなければそれはそれで良いとするあるいは境界線上で足だけ残して体は目いっぱい不正側に乗り出しているような(例えば自分の都合に合わせてその時々で規則を曲げて正当化するような)やり方をする人間を仕事のできる人間と称揚する上層部の責任である。トップが、バレなければズルをしてでも成果を上げることをよしとしている、あるいは黙認している、そして成果が上がればやった人間を評価する。それが順次上から下へと及んでその会社の体質となるのである。

三井物産、日本ハム、東京電力、日本を代表するそうそうたる企業のズルが表沙汰になってきたということは、そういう体質が経済界の上流から日本中に蔓延しつつある証拠と考えてよい。下流の企業が勝手にズルをすれば上流の企業から仕事は来なくなる。だから上流がズルを許さなければ下流はめったにズルはしないものである。反対に上流がズルをして下流がそれに異を唱えれば仕事が来なくなるからズルは上から下に広がっていくのである。

最近流行の能力主義で後れをとった人間やリストラで面白くない人間が内部告発で憂さを晴らす傾向が強くなるとか言われている一方で、組合の力が弱まってきたこととあいまって能力主義が進めば能力を査定する上司に追従して出世を願う傾向がこれまで以上に強くなり上司からの不正行為の指示に逆らえなくなる傾向が強まるとの見方もある。組合のない会社ではさらにその傾向が強くなる恐れがあるということも言われている。

内部告発をしたものを保護する法的整備が必要という論議もされているが、それとともに不正をした組織の上層部に対する刑罰強化も考えたほうが良い。下司がズルをして人の上に立ちやすくなった今の時代、noblesse oblige を期待するのは無理というものである。誰もがズルをする要素を持っている、しかしズルをする欲望を抑制する廉恥心や畏れの気持ちがかつてはまだあった。私の経験ではニクソンショック以降サービス残業しない人間を非難するあるいはサービス残業を暗に求める上司が目立つようになってきたころから、上に立つものの人品が落ちてきた感じがしている。


 
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