屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.98 屋久島(54):奉仕活動のこと H14.07.15)

屋久島へ越してきたら驚いたことに、ここでもある宗教団体が家庭訪問してくる。むかし都会に住んでいたときと同様何人かチームになって時には子供づれでやってくる。表立った表現で勧誘はしないが、神について関心はあるかというような話から自分たちの信仰の話しをする。多分何回か話が進み興味を見せると勧誘ということになると思うのだが、我が家はそういう素振りは見せないから毎回話は入り口でとどまって次に期待を持たせていたと思われる。

むかし住んでいたところで、子供が小学校に上がった当時のことである。子供の友達の家がその宗教を信仰していた。その子供のところへ遊びに行っては、子供がそこの母親にその信仰について授業のように教えられてくる。はじめはそれが分からず神とかキリストのことを聞いてくるので、ただ物語として興味があるのかとキリストや聖書の絵物語の本など買い与えていた。それを知ってその親は我が家もその宗教を子供に教えるのを容認しているととったようである。

あるとき子供の言うことが普通の単なる興味で話すにしてはおかしく思えることがあって、どう見ても行き過ぎの感がある。自分で考えられるようになってそういうことに興味を持ってからでも遅くはない、まだ自分の考えがつかない子供に教え込まないでくれ、子供たちは子供同士の遊び友達であればよいと考えている、と妻はその母親に言いに行った。その母親は当方の言い分を理解してくれ、子供たちは子供同士遊び友達で変わらず過ごしたというようなことがあった。

だから屋久島へ来てその団体の家庭訪問を受けてもあからさまな勧誘はしないという思いがあるから、訪問のたびはなしは聞くが話には乗らないという態度で臨んでいた。ほとんど妻が応対して、たまには私も出るときがある。まずはじめに奉仕活動で来ましたと言う。そして神の言葉の解説みたいな話をしてバンフレットや本みたいなものを読んでくれといって置いていく。来るたびにその宗教に興味はないから放念してくれというのだが、相手を思って話は聞き資料も一応受け取るから、相手は嫌がっているとは思わず勧誘の望みがあると思ってかまた来る。

屋久島で初めて訪問を受けたときは、父がぼけつつあり手間がかかるようになっていた。そういうときに人が来て玄関に出ると奉仕活動にきましたという。屋久島のボランティア団体がうちにも手のかかる人がいると知って、何かしてくれようとしてやってきたのかと思った。ありがたいことだと思ったのも束の間、件の宗教団体の家庭訪問だったのである。しかし人を煩わせて奉仕活動とは何事かと思いつつも我が家では当たり障りのない対応をしたわけである。その後の何回もの訪問もそうやって応対していた。

あるとき、私の虫の居所の悪い日、ついに私は言った。その宗教には忌避観を持っている。奉仕活動とはあなた方が神への奉仕活動として家庭訪問をしているということだろう。それをなぜ私に奉仕活動に来たというのか。その団体が奉仕活動をして世の役に立っていると全国紙の新聞やTVなどで報道されたのを見たこともない。自分たちの都合でやっているのに奉仕活動とはおかしいではないか。

輸血の問題に話が及んだら、科学的にも裏づけがあると主張する。私は柳田邦夫でもそういう話を評価する本を書いたら考え直しても良いが、今の輸血は科学の成果であると思っているとも言った。そして今までは話だけなら聞いても自分は受け流して済ますという応対をしてきたが、もう煩わしくなったので我が家には来ないように仲間の人にも伝えておいて欲しいと依頼した。以来訪問はないのでほっとしている。

誰かのためにするから奉仕活動というのだと思うのだが、自分のためにしてそれを奉仕活動と言ってはばからない、その一点でも私の理解は得られないことなのである。自分の信じる神への奉仕なら人に言ってすることではないと思ってしまうのである。

 

補足: むかし来ないように頼んだのだが_今度はボランティアだと言って来た
2023.07.02
来ないでと言ったのが申し送られていたようで長年来こなかったのだが、今日また来た。ひとが変わって申し送りの受け継ぎ体制が崩れているようである。

エホバの証人というパンフレットをポストに入れて行った。


 
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