屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.86  屋久島(45):物騒なこと H14.01.28)

先日、海中温泉の協力金箱の鍵が壊されてお金を盗まれることが二回続いたので皆さん情報提供や注意して見るなど防止に協力下さい、というような集落放送があった。またどこかの家の縁側においてあったチェーンソーがなくなった、黙って借りていった人はすぐ返すようにというのもあった。

賽銭泥棒みたいに協力金を取るというのは、たまたま人がいないが借りていくとかいう類ではないので、明らかに悪意があってやっている。外来者か屋久島の人間か分からないが、最近こういうことをする人間が出てきているようである。無人市の料金箱でもこういうことがあったと以前放送されたことがある。町広報と一緒に毎月駐在さんの防犯ビラも配られるが、近年家に鍵をかけましょうというのが出るようになった。

屋久島では聞くところでは従来一般に家の鍵はかけないようである。皆顔見知りであるから悪さはしない。したら住めなくなる。また罪を犯して逃げようとしても飛行機と船しか島を出る手段はないから逃げきれない。だから悪さをすることは抑止されているというのがその根拠のようである。しかし近年は車上荒らしとか空き巣のような盗難が結構報告されている。

近年外から来た人が多くなったから物騒になったのだという人もいるが、車上荒らしの犯人は屋久島の人だったこともある。だんだんと屋久島も地域とか集落のたががゆるくなってきたように思われる。それが移住者のいわゆる集落慣行から距離を置く姿勢のせいだというのは当たっていないように思われる。やはり物質的に豊かな生活ができるようになってきたのに経済的に追いつけない昨今の世の中の流れと事情は同じではないかと思われる。金を貸しても返さないから金貸しはつぶれると言われている屋久島にも最近アイフルとかいう個人金融会社が店を開いている。

さて、黙ってものを借りていく話から感じることである。黙ってものを借りていく例はかなりあるのではないかと思われる。昨年だかも置いてあった草払い機がなくなった、誰か借りていってないかという放送があったような記憶がある。こういう例は盗んだということでなければ、多分まだ集落共同体的感覚がまだ一部に色濃く残っているということかと思われる。悪意はないということだと思うが、こういうのは私的生活の尊重という面では移住してきた私などには少々違和感がある。

人がいないところでものを借りるならメモでも残して借りていけば騒動にはならないと思うのだがそれをしない。一方地元の人でもちょっと値が張るものならば、なくなると騒ぐ人がでるという感じがある。むかしはよかった共益的行為の許容境界線がいままだ変化の途中にあるというところかもしれない。

悪意はないだろう行動については私も経験がある、また聞いたこともある。あるとき庭のガラス戸のところにヌーッと人が突然出現してびっくりしたことがある。風呂から出て真っ裸でいたら大変だなどと思ったことがある。そしてそっけない対応をしたことを憶えている。またあるUターンの人が近所の子供が家に上がってきて人の家の冷蔵庫のなかの食べ物を探すが叱ることができず困ると裏で嘆いている、ということが聞こえてきたことがある。

私はこのようなことにはやはり抵抗を感じる。移住者の多い我が家のあたりでは最近そういうことは聞かないが、まだまだ地元の家が集まっているところではむかしながらの付き合い方があって当たり前のことなのかもしれない。またこれらはほんの土地のマナーの一部にすぎず、総体的にはすばらしい生活の知恵があるのかもしれない。だから地元から見れば私の生活マナーあるいは感じ方にはやさしさがないと見えるのかもしれない。そうは思っているのだが


 
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