屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.80  えひめ丸引き揚げのこと H13.12.03)

えひめ丸が引き揚げられ見つからぬ人ひとりを残し遺体は収容されて、その後船はまた深いところに沈められたようである。以下は引き揚げをなんとしてでもすべしという動きが報道されていたころ書いたものである。

こういうことを言うと反発を食らうこと必定だが、えひめ丸は引き揚げをしなくてもよいのではと思う。引き揚げをしたからといって今後の人類に寄与するような例えばこのような事故を防止するとか死ななくてすむような対策を考えるような知見が得られるとは思われない。ひとえに遺族の気持ちにそう為のように見える。

これもまた反発を食らうこと必定だが、海の男は海で死ぬかもしれないことは覚悟の上ではないのか。安全対策には万全を期す。だが人知の及ばぬ出来事もないわけではない。だから誰でも不慮の事故に遭遇する可能性はある。その確率は低い。だから航空機や船が利用されている。だが事故が発生したら助かる見込みも低いことは承知の上である。

私はヨットをやっていたことがある。もし遭難したらどうするかと妻と話したことがある。妻は一日二日捜索をして見つからなかったら、皆様にご迷惑をかけて申し訳ありません、もう捜索をやめてくださって結構でございますと言うからと言う。うん、しようがないがないなと私も了としたことがある。えひめ丸は相手のミスで事故になったから遺族は諦められないことは分かる。悔しい思いが正義となって何をしてでも引き揚げをせよという言葉に相手は反論できない。

しかし莫大な金を投じて引き揚げてもすべての遺体が出てくるとは限らない。生きている望みがあるなら相手のミスである、とことんやらせたいが亡くなっているなら他の方法もあるのではないかと思う。私の妻は亡くなった人たちの墓場を海と定めて、残された人たちがいつまでも冥福を祈って過ごせることを保証してもらう方が良いと言う。私が海で死んだら妻がそうするかは疑わしいが、私もそうしたほうが良いのではと思わずにいられない。

引き揚げて遺体を見るのは一時、見つからない人もいる可能性もある。引き揚げには何十億円あるいは百億は超えるのかもしれない。その金額を見るにつけ引き揚げを初めから止めてその金を遺族に分配した方がよいのではと思わずにいられない。そうすればハワイの海の見えるところに居を構え、海の墓場を見守りながら冥福を祈って過ごしたい遺族はその為にその金を使える。


 
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