屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.78  細かいこと H13.11.19)

私のホームページの記事を見て細かいことをよく見ているとほめてくれる人もいれば、重箱の隅を突っつくように些細なことをいちいちあげつらうと批判的な人もいる。

そもそも私がホームページを始めたきっかけは、子供たちとメールのやり取りをしていたのだが時間とともに言うこともマンネリになり、互いにだんだん億劫になってきて事務的なこと以外あまりやり取りしないようになって来たからである。返事をしなくてはという強迫観念なしに気の向いたときに見られて、こちらの様子やそれとないメッセージも伝えられるだろうという気持ちからである。

それがやり始めたらエスカレートして今のような形になってしまったのである。些細なことを突っつくのは、なんとなく引っかかること、そういうことに目をつぶってやってきたあるいは我慢してきた自分への反省もある。しかしそういう話題を取り上げるもうひとつの意味、それは子供たちへの隠れたメッセージとなることを期待しているということである。

大きな夢や希望を語ることは良い、しかし言うだけでなすべき細かなことをきちんとしない限りそれなりの成果は得られない。日常の細かいことに対するセンシティビティを持つこと、そして気づいたこと細かいことをきちんとやることがそれなりの人生を送るに必要である。そういう隠れたメッセージを感じてくれることを期待しているところがある。

小泉総理も構造改革による日本の変革と景気回復の大目標を掲げた。しかしこの半年を見ても自分でなすべき細かごとをきちんとやっているとは見えない。総理の一言で解決できることもやらず徒に時間が経過しているような感じがする。私は年金暮らしに突入したので経済問題が特に気になっている。目先のことにあまり細かい言動が見られない感じなのでいずれ小泉構造改革は失敗するかもしれないと心配になっている。

また会社などで言えば、トップが素晴しい目標や雄大な構想をぶち上げるだけで日常の細かなことをきちんとこなさず下に自分の仕事をなげて胡坐をかいている。そしてまた自分に似た受けの良いお題目や構想をぶち上げるに熱心だが実際の細かごとは人に回すような者を引き上げる。そういう会社が不祥事を起こしあるいは経営不振に陥るのだというような気がしてならない。

人生も似たようなものである。大局的な視野や大きな夢や希望を持ちつつも些細なことに気づき細か仕事をおろそかにしない。恥ずかしながら私は今になってそういう姿勢が自分それなりの人生を得るに必要であると遅まきながら知るようになった。だから細かごとが気になってしようがないのである。


 
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