屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.77  60歳になるのこと (H13.11.12)

私は先月60歳になったが、ここまで到達できたことを幸いと感じている。

私の母は56歳で直腸ガンがみつかり手術、その後一時帰宅療養していたが再発、58歳と3ヶ月で亡くなった。私が32歳頃のことである。私は母と血液型が同じだし以前から痔の手術をしたりして大腸関係が問題かなと思う節もあり、また母の父親が同様の病で早くなくなったり兄妹も何の病かは知らないが早く亡くなっているということなので遺伝的要素も気になるところだった。私はそう言うわけで人間ドックは毎年受け健康管理には十分気を遣ってきた。

私は母とその実家家族の状況から58歳くらいで死ぬ可能性を考えないわけにはいかなかった。そういう訳でかなり以前から機会を見つけて会社を早く辞めゆっくりした生活をしたいと考えるようになった。都会のいわゆる一流会社を退職し子会社に転籍すると正規退職扱いで割増付き退職金がもらえる。だからそれまではとゆったり過ごしたい意に反して朝5時に起きて夜10時すぎてから帰宅するような生活をしてきた。また転籍してすぐ辞めるわけにいかない、その後一年も同様の生活をしてきた。小学校上級から高校までくらいの時期こどもたちとあまり親しく過ごせなかったことを残念に思っている。

私は退職してからのことを考えて生活費を安く健康的に過ごすためにと事前に屋久島に土地を買っておいた。以前住んでいた土地は市の条例が出来てその敷地形態では家の建て替えができない。家は老朽化し床は抜けるようになり屋根もコーキングでやっともたせるような状態では今後ながく住めないと考えていたからである。

私は早く死ぬ恐れを持っていたので子供たちには何しろ早く独立して一人前の姿になってほしいと思っていた。そして子供たちには学校を出たら一人でやっていってとよく言っていた。自分で生活していける人間に早くなってほしい。もしものとき妻と父とが上手くやっていければ良いだけの状況にしておきたかったからである。子供たちはいやいやながらかもしれなかったが独立を果してくれた。それとともに私と妻と父三人が屋久島に移住した。私が53歳の頃である。その後私が58歳直前で父が93歳で亡くなった。

58歳と言うのは私にとっては意味合いの深い年齢だったが何とか乗り越えて今は60歳になった。まだ心配はない。妻と子供たちに感謝している。


 
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