No.73
屋久島(39): ごみステーションのこと (H13.10.15)
10月10日頃村づくり活性化事業でごみステーションの改修をする、その間はごみはステーションの横に出すようにとの集落の放送があった。我が家が利用するごみステーションでふたの金網部分が破損してきていたので、ああ直してくれるんだな、使い易くなると思った一方で、ちょっと気になったことがある。
村づくり活性化事業でごみステーションの改修をするという点である。私はごみ処理とそのシステムの管理運営は町がやっているものと思っていたからである。集落はいわゆる町内会同様町民の意見を町に伝えるだけかと思っていたが、どうもごみステーションは集落で設置維持管理しているものらしいと感じたからである。
もうひとつ改修の間ごみはステーションの横に出すようにという点である。町広報などでごみステーションはごみ捨て場ではない、ごみ回収用一時集積場であると注意喚起している。また出し方はといえば、ばらばらになるごみは全て指定の袋に入れて出す、あるいは箱にいれたり束ねたりしてステッカーを貼って出すことになっている。だからステーションが使えなくてもその横に出して支障がないのである。ということはわざわざ施設としてのステーションを作らなくてもごみ出しはここへと表示の柱一本立てればそれでも用を足すことになるのにと思うからである。
なぜこういうことを言うかといえば一番近い我が家が利用しているごみステーションまで約500mある。例えば都会の電車の井の頭線の一駅の間隔くらいあるところにある。遠い。それを改善するヒントがそこにあると思うからである。
いままでに集落の役員なんかに近くにならないかと聞いたりしたこともあるがごみステーションを設置する場所が確保できないという話しのようである。だから施設としてのごみステーションを止めてごみ回収ポイントを小間隔で指定すればよい。表示柱を道路脇に立てればすむ。町全体でごみの量が増えるわけではない。ごみ回収車の定時運行は今まで通りできる。ごみが小口に分散集積されるだけだから回収車のルートがちょっと複雑になり停止発進頻度も増えるが作業時間がそれほど増えるとは思えない。町のごみ行政は集落にごみステーションを設置維持管理させることにより、住民の利便性改善の責任を回避しているように見える。
この9月の町広報にごみ問題が特集されている。町が強調して言いたいことだからかマンガでアッピールしていることがある。「朝早く起きられないから、このゴミ、今夜のうちに捨ててこようっと。」 「私一人くらいいいわよねー。」(ここでごみステーションの戸を開ける) 「きゃー! (今夜捨てた人がいっぱいいてその)ゴミが落ちてきた たすけて!」 「私一人くらい(前の夜に捨てても大丈夫)…という考えが大きなゴミにつながります。きちんとルールを守ってゴミを出しましょうね。」 とある。ごみはその種類に応じて当日朝8時30分までに出せということになっている。だが前日その日の分が回収されてから(大体夕刻以降と思われる)出す人もいる、そういうことをするなとの注意が趣旨と思われる。(マンガではごみをごみステーションに出すではなく捨てると表現している。これも意識がなっていないと言っているのかな。)
私の見る限り前日夕刻でもきちんと指定袋に入れて出しているように見受けられる。翌日に出せない事情があるから出しているのかなと思う。翌日分を前日に出すのは滞留時間の問題だが、なぜマンガのいうように 「大きなゴミにつながる」 のか解らない。仮にすべてのルールについて守らない人への注意喚起と解釈してもなぜマンガのいうように 「大きなゴミにつながる」 のか解らない。なにがなんでも決めたんだから守れ、ちょっとは実情からフィードバックしようという鷹揚さが見えないのが気になってしまうのである。
500mくらい離れたゴミステーションは、車を運転できない人、同居老人がいて朝起きてからすぐの世話で時間が取り難い人などには負担である。夜勤で当日朝不在の人は出せないから困ることがある。重く大きい粗大ゴミはトラックでも頼まなければ500mも運ぶのはつらい。だから前日の分が回収されたらその後の時間に、余裕を見つけたり、時間をかけてあるいは当日出せないからいたしかたなく出す人も出る。そういうことに対する想像力がなさそうなのが気になるのである。私は93歳で父がなくなるまでは前日夕刻出しに行くことがあった。今はルールを守っている。
(追記) 以上を書いた後のことである。新聞折り込みに「ゼロエミッションを実現する屋久島会議」の活動報告が入っていた。ダイオキシン対策期限が来年11月に迫っているのに行政の取り組みや運びに不安な点があるということで活動しているらしい。その報告のなかで9月23日行政側も招いて発足記念懇談会を開催した際の感想部分に次のような記述がある。
「これらの重要事項について住民への説明責任があるという行政担当者の基本認識が浅く、行政が住民の上に立つかのような姿勢が目立ち、公務員としての意識改革が大きな課題だと感じられました。」とある。私もそれに似たことを言いたいのである。ごみステーションのことはお上の言うことに異を唱えるなという姿勢があると感じているその例でもある。こういう感じは鹿児島の風土によるような気もする。
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