屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.61  構造改革のこと (H13.07.23)

参議院議員選挙が7月29日に迫っている。小泉内閣の構造改革(自民党のと言われないところが面白い)の痛みが争点の一つになっている。一くくりで言ってしまえば痛みとは失業のことだと7党首そろった7月15日のサンデープロジェクトで田原総一郎が言ったが誰も異を唱えなかったので政治家はそういう認識のようである。

「構造改革なくして景気回復なし」、そして改革には痛みがともなう。今改革をしなければもっと痛い痛みを受けることになる。少しの痛みで日本の経済を回復させたい。それが小泉内閣の方針である。それはそれで聞いておくとして、私に分からないところがある。

まずは痛みというものが具体的に自分にどうなって発生するのか、それはどのくらいのものなのか、はっきり想像できないことである。2〜3年以内に不良債券を処理する、公共事業を廃止する、そうするとゼネコンなどの危ないと言われる大会社とその裾野の中小の会社が打撃を受ける。その影響は他の業種にも広がる。大量の失業者が発生する。それが痛みだとは今の世間一般の見解である。

果たして痛みとはそういうものなのか。私は気にかかるのである。橋本総理時代は財政再建のために構造改革が叫ばれたように思う。その改革路線は景気の腰を砕き今にいたっている。だからその当時の問題は改善されず今にいたってもっと問題になる状況にある。今やろうとしている政策で本当にこの問題を乗りきれるのか。構造改革後のフェアな自由競争の資本主義経済国日本とは財政破綻の後に来る日本のことではないかとの不安がある。

日本破綻の本を見れば、猛烈なインフレ、円安になる。年金も機能しなくなる可能性もあるとある。たいした金ももっていない人間は海外に資産を移したり逃げたりできない。数年後に破綻するのは不可避だとの話しもある。そうなったら死ぬまでは破綻の影響が大きくならないようにと祈るしかないのか。

私はもう退職している。子供達のことを考えれば失業の危機が迫ることへの心配はある。だが私は日本が破綻することへの不安の方が大きい。昨年だか宮沢前大蔵大臣が日本の財政は極めて破綻に近い状況にあると言ったように記憶している。私には構造改革でそれがどう解決されて行くのかの見通しがよくみえない。財政の問題が解決されていないなら着々と危機が迫ってくると考えざるを得ない。

構造改革論議では景気と財政両面から見た起こり得る痛みを説明して貰いたい。政府は景気と財政の二兎を同時に追うと言っている。しかし財政破綻は不可避なのではないのか。ここのところメディアは不良再建処理と失業論議に集中している感がある。景気回復失敗で世界恐慌になれば行き着く結果は変わらない、不況では財政再建もできない、だからなにしろ景気回復に論点が集中していると言うことかもしれない。しかし私はどうも不可避な日本の破綻話を避けた構造改革論議に集中しているのではと気になってしかたがないのである。


 
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