屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.59  小泉総理訪米のこと (H13.07.09)

6月末から7月初めにかけて小泉総理が米英仏を訪問したが、TVで見ているとなんとなく総理が屈託が無さ過ぎるようで気になる。

特に訪米ではがっかりである。アメリカ大事は分かる。しかし大事とは追従する事ではない。何も日本の言いたいことをはっきり言わず、ほとんどブッシュの掌の上で舞ってしまった感がある。

私は訪米するという話しを聞いたとき総理が常日頃改革について語る時のように情熱的に饒舌をふるったならまともに日米の他の課題に言及する時間的余裕が無くなるのではと思った。

案の定そんな感じだったらしい。友好的な振舞いで総理の心を舞い上がらせながらブッシュは米の政策への日本の疑問を封じてしまった。小泉総理は以心伝心の日本的アプローチのつもりで臨んだのかも知れないがそれは通じていないだろう。

国内でも同じようなことが言える気がする。小泉人気に世間が浮かれている。日本は今どういう状態なのか。日本は破産しないのか。そういう疑問に封をして人ごとのようである。小泉総理の言う痛みとは日本破産のことではないのか。総理は心に思っても表に出して言えない。だから心地よい饒舌で国民サービスしているのではと考えてしまう。

NO.51 H13.05.14:「小泉総理にエールのこと」 の最後でそのエールが誉め殺しでないことを祈ったが、その心配も現実のものとなるかもしれない。


付録:いやな感じのこと (H16.01.08)

小泉首相の印象のことである。イラク自衛隊派遣問題を見ても説明が詭弁的である。またTVで記者の質問に対する答えをするときの態度がぶっきらぼうで無表情なときがある。的を突かれたときにそういう感じになるが、かたくなな態度で疑義を言うものを疎んでいるかのような顔つきである。

TVや映画あるいは小説などで見たような、帝国陸軍軍人の周りに耳を傾けずかたくなに突き進む姿と重なって見えるときがある。そういう時は日本はいつか来た道をまたという人の話が気に懸かる。


 
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