屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.57  田中外相のこと (H13.06.25)

田中外相が外務委員会で鈴木宗男から外務省人事問題で追及された。TVで見た限りでは質問は作戦的に考えられたものだった気がするが、外相の回答は質問に答えるというより追及を嫌がって自分の行動を正当化しようと自分の言い分を勝手に述べる。鈴木宗男の術中に陥った感がある。

次回も鈴木宗男の質問があるということになっていたところ、田中外相は裏で委員長などにその質問時間を制限してくれと要求したらしい。行政の立法への介入ということで問題になり委員会も流れてしまった。その後田中外相は非を認め謝罪した。

私は田中外相がなぜ簡単に民主主義のルールを無視するような行動にでたのかについてちょっと感じるところがあった。それは田中角栄のそばで学習したことをそのまま出してしまったのではないかということである。

田中角栄はある時期は絶大なる権力を持っていた。だから都合の悪い質問などについて多分それをつぶすことがよくあったのではないか。裏で電話を掛け田中角栄が言えば後で問題になることもなくすんなりと通ったであろう。そういうのを見て田中外相は育ったのである。そういうやり方は学習した。だが今の田中外相に権力はない。だから父と同じやり方が通じると思ってやっても誰も言うことは聞いてくれない。権力は無いのに権力の裏のやり方を知って権力の何たるかを知らなかった。悪の中できれいに育ったということである。彼女はよく他を顧みずやりたいようにやる。それは権力者の行動のかたちだけを学習した結果である気がする。

TVで見た外務委員会での鈴木宗男質問時の田中外相の目つきは被害者意識に苛まれる狭量なおばさんの目のようで気持ち悪かった。アーミテージが来たとき外相と副長官では格が違うから会わないと言ったと報道されたり、私用で会う時間が取れなかったと嘘をついたり、北京での各国外相との会談で国の方針と違うことを言ったとすっぱぬかれ言い逃れの発言をしたり、自分の都合で言うこと勝手放題。野村沙知代かデヴィ夫人かと思わせる。

軽い乗りで面白おかしく人気をとるだけで、その実は誠実でない。自分は常に正しい、自分を批判する人間はそれだけで間違っているとギャーギャー騒ぐ手に負えないおばさんみたいな印象が強くなってきた。私はだんだん田中外相が気持ち悪くなって来ている。政治的課題に対する発言は感覚的には共感するところがあるだけに残念である。

        

補足: 外務大臣室での出来事のこと (H13.07.20)

田中外相の外務省幹部不信の発端について以下のような記事を見た。本当なら田中外相が外務省に強力なコネを持つ人間に神経質になるのもいたしかたない。

着任当初ある局長にある調査を依頼したが約束期日を何週間か過ぎても結果報告がない。問い詰めると「忘れていた」とか「そーでしたかなあ」とはぐらかす。大臣の指示に従わないのは公務員の義務違反だ、処分すると息巻いたら幹部連中が結束してその局長をかばったと言うことである。

大臣は指示をしてもしたという証拠がない。だから指示したという証拠を残そうとテープレコーダーを用意し机の引出しに入れて置いた。大臣室を不在にして、帰ってからその引出しを開けようとしたが開かない。設備の職員に強引に開けさせたら引き出しが開かないように工作してあったそうである。

田中外相が外務省は伏魔殿というのもあながち誇張では無いのかもしれない。


 
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