屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.51  小泉氏総理になるのこと (H13.05.14)

日本の国が良くなることを願って、新総理がうまくやってくれると信じたい。信じないで足を引っ張っていてはうまくいくものもいかなくなる。そういう観点からの感想である。

前の小渕総理は総裁選前に候補者そろって出演のTV番組で言うことを聞いていた時の印象では具体的政策は感じられなかった。自分はまとめていく力があるから私にやらせてくれと言うのが最大の主張だった様に憶えている。なんだか頼りないなと思ったが、選ばれてからは矢継ぎ早にいろいろな施策や立法を行い評価が就任前にくらべあがった。多分内心自分なりの思いがあったが、敵を作らず自分の世になったらああしようこうしようと思っていたのではないかと今になってみれば思えぬこともない。

小泉総理も総裁選での政策主張には具体的な感じが少なかった印象がある。総裁選だから自民党のために誰が良いかという選挙でもあるのだから政策ではなく自民党をどうするということが争点になってもいたしかたない。総裁選とはそういうものである。具体的政策を示さずとも総理になったら自分の思っていた施策を世の政治通の意表を突いて効果的に実行してくるのではないか。各種改革会議で検討する手法は小渕元総理のブレーンを活用し速攻する手法と同じ感じがする。実行スピードはあるのではと思われる。

亀井派との手打ちや政調会長への麻生氏の起用を見れば、経済政策は自民党みんなたいして変わりはないのだと思われる。小泉総理は柔軟に現実に当たると思われる。経済立てなおしが最重要課題だということにかわりはない、だが施策が思い通りに行かずマイナス成長も覚悟しておかなければならぬというのは正直な言い分である。絶対マイナスにしないと言いながらも結果はマイナスになることはあるのである。小泉総理は自分のものを考える起点を理解せよと言っているのだと解釈した方が良い。治にいて乱を忘れずで喜ぶべきことである。

小泉総理は長期構想を持っている。国というものはどうあるべきか、どう運営されるべきかを問おうとしている。その考えについては特定の思想にとらわれず国民の議論を重視して柔軟にあるべき姿を明確化していきたいと思っているのではと思われる。その国民に分かり易い言葉を使う姿勢からそう思える。その精神を失わなければ大丈夫である。今の勇ましい言葉は扇動性ではなく純心性の発露であると信じたい。内容はこれからである。やれるものをやることから始めれば良い。

そのまず手始めが脱派閥である。派閥にとらわれない人事である。派閥の長に相談せず人事をしたら派閥の長が怒ったが、派閥にとらわれないという日本語を理解しない人間がいることが問題だと実例をもって示したのである。派閥から一本釣りされた能力ある人間を派閥が全力でバックアップして国政に寄与させる、そうあってこそ国民に範たる政策集団なのだ、まず隗より始めよということなのである。国のあり方を論ずるにはまず政治の信頼ということである。その端緒を示したと信じたい。前述の経済政策は自民党みんなたいして変わりはないとの印象が派閥隠しと隠れた権力構造の存在証明でないことを信じたい。

小泉総理の所信表明を聞いての野党党首のコメントをTV放送を見ていつもそういう場面で感じる奇異な感じを持ってしまう。感情的というか、こき下ろすというか中味のない言い捨て言葉は聞き苦しい。野党だから批判するとか党勢拡大狙いだけの発言や、現実よりは思想の為の政治というイメージから抜けきれない一種独特のもの言いは、国民にあきられている。野党も考える必要がある。

民主党は小泉総理の政策は民主党の主張丸呑みだと言っている。自党の主張が国家政策となったのならお手並み拝見ではすまされまい。出来なかったら民主党が政権を引き継いでやるでは情けない、小泉政権で政策の実効があがらなければ民主党の責任だというくらい自党の主張に自信を持ってもらいたい。

以上後で本文は小泉総理誉め殺しだったといわれないように願っている。

 

          付録:橋龍は嫌いだのこと (H13.05.22)

(以下自民党の総裁選のころにTV討論を見た後書いたものである。政策は一番しっかり感があるが、当選の見込みなさそうと思った。そのときの感覚を理由付けてみたものである。)

自民党総裁選が世間の話題である。ここでの話しはその政策の良し悪しを言おうというのではない。人柄の印象の話しをしている。私は橋龍がきらいだ。すべてTVを今まで見てきての感じである。他の三人には幹事長や総理までやった橋龍にくらべ見る機会が少なかったから甘いかもしれない。そう思いつつも橋龍はTVで大きく顔を出しはじめた幹事長代理の時から、私の好きになれない人種のような印象でそれは今でも変わらない。

まず話し方である。自分は重鎮であると言わんばかりの押さえた声でわざとゆっくり重々しく話す。これは私の経験でいくと食わせ者のやり方である。仲間内で喧喧諤諤議論をしてそれぞれの主張を熱意を持って語っているとする。そこに社長がやってくる。殆どの人間は自分の主張を熱意を持って語る。だが一人橋龍のようにやけに冷静ぶって声を低めゆっくりとした口調で自分が大局を押さえているかのように印象づけるような振舞いをするものがいることがある。周りのものは一瞬しらけて静かになってしまう。してやられたという感じである。こういう仲間を踏みつけにする、自分を売り込むために仲間を道具にしてしまう嫌な奴がたまにいる。そういう人間を橋龍の話し方に感じてしまうのである。

次ににやけたうすら笑いである。特に人に反論する前にうすら笑いをする。その顔自体も気持ち悪いが、人を小馬鹿にしている魂胆が見えているようで嫌である。ああいう顔を見たことがる。人事抗争勝利派が敗北派がそれと知らず自分たちの主張をしている時にそれに取り合わず見せる哀れみとさげすみの混じったような顔である。橋龍の顔に人をさげすんでいる嫌な奴を見てしまうのである。

次によくむっとすることである。核心をつかれたり気に食わないことをいわれるとすぐむっとする。むっとするだけならまだよい。総理の時自分が知らず事実が報道に流れたとき、記者に追求され感情的発言をして国として困ったことがあった記憶がある。気位が高く自己顕示欲が強くて自意識過剰だから寛容さが小さい。そしてすぐむっとなり感情先行の行動をするのだと見えるのである。ある有名会社の話しである。テレビ朝日「サンデープロジェクト」でも話題になっていた話しである。社長だった人で、労組の幹部への憎しみと業績をあげている人への嫉妬心で会社の行く末を誤ったといまでは世間で評価されている人がいる。橋龍も個人的感情で国の経営を誤るのではないかと危険な感じがして嫌なのである。

次には粋がることである。自分に能力があると思わせようとしてかよくパフォーマンスをする。自分の弱みを隠す為に強がりを言っている感じがする。過度の自尊心の為に判断を誤るのではないかという危惧を抱かせる。会社でも危険そうな作業を慎重にみんなでやっている時に突然勇気のあるところを見せようとえいやっとやってしまうやつがいる。それがうまくいけば良いのだが往々にして他の人も巻き込む事故になることがある。そういう危険を感じさせる。

私の経験では以上のような特徴を一つでも持つ人間は要警戒なのである。それが全部持っているようだとなれば嫌いだと言うほどの悪印象になってしまうのである。

多分話し方とうす笑いは橋龍の能力の裏返しである。ある種の能力への自信からそういう行動が出ている。だから今の地位がある、しかし反面人望は薄いようである。そして今回派閥では誰も積極的に総裁候補に押そうとしなかった。最大派閥の会長だから今回立候補させてもらえた、お情けである。むっとする、粋がる、そういう人物の危険をみんな知るようになったのも一つの隠れた理由だという気がしないでもない。


 
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