屋久島に来て島外から移って来た人と接する機会に感じることがある。若い人の例である。若くて屋久島に住もうという人はなにがしかの思い入れや目標を持ってくると思われる。そんななかに多分自分はそこらの人間とは質が違う、生き方が違うといつも高みに立って周りを見ているのではないかと感じることがある。
私はそれを言葉遣いに感じる。いわゆるタメグチで話すのである。自分の子供より若い者にそういう言葉で話されるとなんとなく気分が良くない。一回こっきりならそれで忘れてしまえばなんということはないがしょっちゅう会うたびだと耳につきだんだん不愉快になってくる。
家でのしつけが悪く大人と子供の区別もない言葉遣いの中に育ったとも見えない。だから意識してそういう言葉遣いをしていると思わざるを得ない。若くして田舎に来る。逃避して来た弱い人間なのかもしれない。だから自分の弱みを隠すためにそうしているのかもしれない。
理由はどうであれ私は聞き流しているような顔をしていながらもなかなかタメグチに寛容になれない。こちらも俺はおまえたちと同じじゃない。俺達がここにいるのは今までそれなりのことをして来たからだという思いがある。なめちゃいけないという気持ちが抜けない。
妻のこういうことへの対応法はしっかりしている。話題となる人のことは敬語をつかって話す、相手にも節度ある言葉で話すなど自分がきちんとした姿勢をとるように努める。そうするとだんだん相手も変わってくる。気づかない人間はまあどうしようもない。
それなりの年の人で、横柄だったり、周辺の人を使いまわしていると吹聴するような口をきいたり、相対しては家来にでも言うようなぞんざいな口を聞く人がいる。むかしの生活の感覚から脱却できていないのだろうが、周りを見下している心根が感じられていやである。こういうのは大体はもう出来上がっているからお手上げである。