屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.40  えひめ丸事故に思うこと (H13.02.19)

アメリカの原潜グリーンビルがホノルル沖で実習船えひめ丸に衝突した。海の男の常識ではしてはならない交通海域で緊急浮上訓練をして事故を起こしたということである。その衝突事故に思うことである。

原潜艦長といえばエリートである。そういういわゆるエリートが知りながら決まりを軽んじ過ちを犯しても結果オーライでその行動が正当化されることは世間では良くあることである。

決まりを破りうまく行った時は組織の成果でありその人は意欲的と評価される。失敗すればその人の責任であるが、能力があり意欲的な人はしばしば意欲的にこのようなやりかたで成果をあげようとする。しかし特に軍隊ではこれは危険なことである。

アメリカ海軍が海事事故として原潜に責任ありという、これは当たり前のことである。しかしもっと深刻に受け止めるべき問題はこの事故へのアメリカ海軍の対応にあると思われる。

今のところTVで指令官の会見を見る限り、原潜の指揮運用の責任を明確にしない。なんとなく事故は不幸なことではあったが原潜の行動については正当性はあったと主張しているような感じがある。細かい調査はしなくても原潜が一般交通海域で緊急浮上訓練をやる必然性は無かったことは明白である。

軍人のやる気におもねて、決まりを守らず自分勝手のやり方をする者を糾弾し処分することを手控えるならばアメリカ海軍あるいはアメリカは病巣を見過ごすことになる。

映画で見るあの正義のアメリカ軍はむかしのものかもしれない。沖縄でも海兵隊などが地位協定の名のもとに人としてしてはならないレイプ犯や放火魔に甘い態度をとっているように見える。取調べに弁護士をつけさせない日本の警察のやり方を問題にしているという話もあるが規律を課しながら違反者を庇護するかのようである。

過ちを犯したり悪いことをするものは何時の時代にもいる。しかしそれらを庇護する風潮は危険を感じさせる。

軍隊は命令とそれを信頼した命がけの命令遂行で機能する。原潜の艦長の命令が信頼に足らなかったことを糊塗すれば命令の信頼性を否定することになる。乗員は過ちを犯したと知りつつ正しいことをしたと信じなければならない。

その矛盾が決まりより自分が正しいと思えばやっても良い、すなわち命令を捻じ曲げて独断専行するものを許すということにつながって行く。軍隊の機能がダメージを受けていく危険がある。もっと深刻に受け止めるべき問題という所以である。

今のところ指令官の発言からは海軍の指揮運用責任に対する見解はあいまいに見える。軍隊組織でないNTSB(国家運輸安全委員会)が軍隊の危機は国家の危機との認識を持って問題をあきらかにすることを期待している。

いわゆるエリートが問題を起こす。アメリカ海軍であれ日本の官僚であれ組織のたがの緩みによる全身症状ではないかと思わせる。なんとなく日米似ていると思わずにいられない。

補足: ジョージ・ワシントンのこと (H13.02.26)

ワシントン大統領が子供の時桜の木を切ったと正直に白状した話しは日本人好みだが、これは日本人の創作話ではなかろうか。アメリカは原住民の土地を銃で奪い国をつくった、それを正当化して今がある。正義の国アメリカはその矛盾を認めたくない。もともとがそうだから軍人が過ちを犯したと知りつつ正しいことをしたと信じる矛盾なぞなんてことないのかもしれない。


 
 Home   back