屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.22  屋久島(17):お世話になること  (H12.10.15)

妻の友人の知り合いの話である。その人の家は信州に別荘を持っている。庭の畑でそばを育てて自家製のそばを食べたいと考えた。別荘にしょっちゅう行っているわけではない。だから手伝ってやると言う近所の地元の人にお世話になることにした。

やってあげると言う言葉を真に受けて道具を貸してもらったり不在の時の世話をしてもらった。そしてそば粉にひいてもらって送ってもらったら思ったより量が少ない。うわまえを刎ねられたらしい。おまけに請求書が入っていた。貸してあげるとか手伝ってあげるとか言っていたのに労賃とこれは消耗するとかなんとか言って機械使用料も取られたそうである。

足元を見られたのね。買うよりもずっと高いそば粉になったわ。これがそうよと言ってそのそば粉をおすそ分けしてくれたそうである。初めからこれはいくらこれはいくらで全部でいくらかかると言ってくれれば良いのに田舎の人はただのように思わせてふんだくる。田舎の人が善良だなんてとんでもないわ。という話しである。

田舎にはそういう面もある。しかし一方私の経験では地元の人が移住者を警戒していると感じることがある。価格を細かく聞いたり高いのではと言うときちんと説明せずただ値切られると被害者意識に立って警戒する。金に細かいのはおたがいさまである。外から来た人間には理屈の通っていることが唯一判断のたよりである。お互い自分の感覚がみんなに通じるはずだと思いこんではいけない。外国人同士だくらいに思ってそれぞれの思いを伝え合うことが大切である。

変わって屋久島での話しである。集落で電気事業をやっている。JAから直接電気を購入するよりkwあたり2円くらい高い。引っ越してくると大体JAから買うことになる。地元の役員から移住者達に集落の利益のため集落から買うよう働きかけがあったその会合の席でのことである。私は同じ所で同じものを高いのと安いのと両方売っていたら安いほうを買うのが当たり前、集落の人も安く買って、集落の経費は区費を再考すれば良いと言ったことがある。結果はそうならず集落の意向を汲んだ形になったがその時移住者でこんなことを言った人がいる。地元にお世話になっているのだからお礼の気持ちで集落から買いましょう。

私はお金のことは理屈がはっきりしていないとこれから違う話が出てきても基本があいまいだと変なことになる恐れがある。金のことは金のこととして決めたほうが良い。地元にお世話になるというが地元の予算の7割は都会から来ている。田舎の子弟を面倒見て都会で働いてきたんだからお世話はおたがいさまであると言った。しかし感謝の念もない男ととられたようである。

口に出して言わなかったがお世話云々と言う人はお世話になっている人に自分でお礼すれば良い。私はそうしている。地元におもねて人の金まで当てにしてお礼をしようなどとんでもない。システムは理屈が通るものが良い。そのほうが変化への適応性もある。後で状況が変わっても論理のつじつまあわせの苦労をしなくて済む。感謝の気持ちの表し方は個人のものだからそれぞれのやり方でやれば良い。私はそう思っている。

以上田舎でお世話になると言う話ニ題である。


 
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