屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.21 調査捕鯨問題に思うこと (H12.10.08)

アメリカが日本を非難している。調査捕鯨に名を借りてくじらを採って高級レストランに回し食っている。制裁まで考えていると言っている。アメリカの政治家が今までアメリカがやってきた非道な行為をすり替え、他の環境問題では成果をなかなかあげにくいので大衆を煽れるくじら保護の雰囲気にのって支持集めをしているというのが日本での大方の見方である。

アメリカは正義の名のもとに自分たちのやり方を他に押し付ける。アメリカはいろんな人種の坩堝だから思っていることをはっきり言わないと誤解が誤解を生む。正義で交通整理をしなければならない。そのアメリカの正義で文化の違いや人の国のことに簡単に介入する。しかし理屈はいろいろつけるが根底にはアメリカの利益ということしか頭にないとは良く言われていることである。

私はアメリカあるいはアメリカ人という一般的表現でいう限りにおいて好きでない。戦後日本はアメリカのお陰で今の日本になった。それは理解しているつもりだ。感謝もしているし友好を保たなければいけない。しかし警戒しなければという意識が抜けない。

それは子供の時の体験にある。小学校の頃である。基地のある町の近くに住んでいた。隣家の米軍軍人に私と同年くらいの子がいて我々近所の日本人の子供連中とよく遊んでいた。ある日そこの家に我々より年上のアメリカ人の子達が遊びに来て近所の原っぱでなんかしていたところ日本人とアメリカ人の諍いになった。

諍いは決着しなかった。最後にアメリカ人はニコニコして和解の握手を求めてきた。言葉は通じないから態度を信じて安心して握手に応じたら急に逆手を取られこてんぱんにやられたことがある。これがアメリカ人に対する原体験である。以来、個人として良い人はいると思うしアメリカの影響にひたって生活しているが、アメリカあるいはアメリカ人には警戒感を持っている。悔しい思いを持っている。

だからなにしろアメリカのズルには負けてもらいたくない。くじら問題に限らず日本はしっかり必要なことについては対抗できるようになって欲しい。常々そう思っている。


 
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