屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.20  屋久島(16):交通安全旬間に思うこと (H12.10.01)

9月下旬交通安全旬間ということで町で毎朝日変わりで小学生や中学生の交通安全にかかわる体験談を放送していた。例年やられている。弱者としての行為の反省と自戒が主な内容である。被害者サイドがひけめを感じているという印象である。

運転者については夕方の放送で運転講習の呼びかけもあるがあまり興味がない。当地ではこういう時の講習に出たことはないが大体内容は想像できる。ビデオを見てから交通事故の統計的な話や事故例と危険予知を絡み合わせた話が主体だろう。毎年やっているだろうにこの5年で自分がニ回被害を受けたのでその効果は信じていない。

私がむかしいた会社は人身事故を起して対応を誤ればくびになるかもしれないところだった。だから私は運転マナーや危険回避に対するセンシティビティは高いほうだと思う。だからか今のところ屋久島で加害者になったことはない。被害を受けたことは前述の通りこの5年間にニ回ある。

一回は県道路側に停車していた時である。後ろから走ってきた車の運転手が反対車線の路側に立っている知り合いを見て手を振っているのがルームミラーに見えた。ぶつかってくると思い自分は歩道に乗り上げ回避しようとしたが間に合わず右テールランプ部に追突されてしまった。

二回目は医院に薬をもらいに行ったときである。医院前の2車線道路の路側に停車して妻を残して薬をもらいに行った。そしたらガンという音がした。妻が車をぶつけられたと走ってきた。ぶつけた車が行きそうになるので呼びとめた。この時は私の停車位置の反対車線側の空き地に駐車していた来院者が帰るとき1車線を通り越しまっすぐバックして私の車にぶつけたのである。

私の印象では屋久島の人は運転技術やマナーがいまいちである。私が5年に二回も止まっていてぶつけられるのだから狭い島で交通密度も低いのに頻度が多すぎるからそう思う。

私が屋久島へ来てから気になっていることがある。車が反対車線に突っ込んでくる。あるいは反対車線で停車している。2車線で対向車同士が止まって道をふさいで話をしている。道の真中で車を止めて反対側の路側の人と話をしているというようなことである。こんなことが県道で起こる。

ゴミを捨てに行くことがある。私は進行車線の左にゴミステーションがくる方向から行く。そして左によって車を止めようとしていると反対車線から突如車が突っ込んで来て自分の前にとまる。ぶつかるかとびっくりする。屋久島では路側に車線進行方向と逆から進入し逆向きに駐停車するのが当たり前みたいに行われている。企業で安全教育をしていると思われるゴミ収集車でもそうやっているのを見うける。

この交通安全旬間中にもびっくりした。見通しが悪いカーブを曲がっていると進行車線にこちら向きで車が停車しているのでびっくりした。路側の人と運転手が話をしている。今回は役場の車である。自治体職員でもそうやっている。屋久島では自動車交通の地位がまだ確立されていない。県道でも人同士の話のほうが優先である。

子供の交通安全意識は頭記の放送などに見るとおり高揚している。しかし今までもそのように育成されてきた子供が大人になった結果として前述の屋久島車社会がある。多分子供の意識教育では運転者サイド(多分大人という表現)は正しいものとして自分たちの行為を責めることに終始している(そして良い子といわれている)のではないか。だから大人になって運転する段になると自分たちをかえりみなくなる。そんな気がしてならない。

全員がそうなるとは言わない。でもそういう人を許す風土は全員がつくっている。だからその一員の私が言うと天に唾してると言われてもしょうがない。しかしなにしろ私は面と向かって言う勇気が無い。


 
 Home   back