屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.17  屋久島(14):なぜ屋久島へ・・・のこと (H12.09.10)

この夏何人か島外の人が訪ねてきた。妻の知りあいのところに遊びに来た家族や友知人である。皆女性である。なんでだろうか家に来る女性はきれいで清潔感がある。だからうれしく楽しい。自分も含めて屋久島では男はなんとなく薄汚く見える(感じがする)。だから自分のことはさておき男にはあんまり会ってもうれしくない。男も身なりなどにもっと気を使わないといけない。屋久島は暑いので清潔感がないとなおさら暑苦しい感じになる。

さて来客との話のことである。殆どの人がなぜ屋久島に来たのかと訊ねる。なんとなく来た感じだから上手く答えられない。しどろもどろになんとか理屈をつけて答えるが自分では納得していない。ふと芸能人が婚約発表するときの決めた理由のことを考えてしまった。TVなどで見聞きする印象はなにかとってつけたものが多い。何にもいうことがないのになんか理屈をならべ理由を説明している印象を受ける。

結婚を決める理由はなにか考えた。そこまでのプロセスのいろいろな場面で好意が極まるのは確かだ、がそれだけでは結婚しようということにならない。結婚しようと決める決め手は一緒に寝たい相手だと(一緒に寝ても良い即ち一緒に寝ることはできると思う相手ではなくて)、そう感じるからである。そうに違いない。

尊敬できるひと、面白いひと、すごい美人などがいても結婚したいという気持ちにならないときはその決め手に欠けるからではないかと思う。今の人は一緒に寝てから結婚にいたることが多そうだが、一緒に寝ることができる相手と寝てみて一緒に寝たい相手であるとの結論に達したのが結婚の決め手だろう。世間ではそれを相性と言っているのかもしれない。(なお閨閥づくりなどの打算のケースは今一応この話の適用外としておく。)

芸能人でも誰でも皆同じだと思うが、一緒に寝たいと思ったからなどとなかなか公然と言えない。だからインタビューなんかでなにかとってつけた理由を言うのに違いない。松田聖子は違った。ビビッときたと言った。あれは一緒に寝たいという欲求が相手を見た瞬間湧きあがったということだと私は思っている。多分公然と言って違和感なく正直に気持ちを伝える言葉としてビビッとを選んだのだと思う。なかなかのものである。

というわけで屋久島へ来た私の理由も、あるとき屋久島に来てビビッときたのが決め手と言うのがもっとも的を得た表現ではないかと思う。誰でも屋久島に住むことは可能である。良い所だと言う。しかし皆が屋久島に移り住むわけではない。私はここに住みたい、そう思ったから屋久島へ移って来たのである。ただそれだけなのである。それまでのいろいろなプロセスはある。だがそれは決め手ではなかった。何事の決定も突き詰めれば感情に支配されている。理屈を選ぶのはその人の気持ち次第である。だから理由を問い詰められると困ってしまう。世間ではそれを価値観と言っているかもしれない。

 

補足: 雄鶏効果:ビビッとのその後に思うこと (H12.12.15)

松田聖子が離婚するらしい。外国人の以前の情事相手のコメントでは波多野氏とのセックスに飽きたからだろうとのことである。

雄鶏をある雌鶏とのみ一緒にすると当初は盛んに交尾を繰り返すがそのうちだんだん頻度が減ってくる。そこへ新しい雌鶏を入れてやるとまたそれと盛んにやりだすという。目新しい雌に元気になる。これを雄鶏効果と言うらしい。

人間の男はいつも身近にいる女とセックスしていると精子の量と活発さが減ってくる、たまに会う女とやるときは量も活発さも増すそうである。すぐにやれない相手には精力が強くなるらしい。

聖子のような女の場合は何効果と言うのかなというのが私の思ったことである。


 
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