屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.10 雪印食中毒事件に思うこと (H12.07.15)

7月前半は雪印の食中毒事件が世間をさわがせた。生活安全の基本的な領域、食品での中毒事件はいつ自分も遭遇するかもしれない身近に感じる問題である。

私の勤めていたホテルでも過去従業員食堂で食中毒が発生したことがある。メディアでの報道はなかったよう記憶している。地方メディアは地元企業の広告費などに依存している面もあり企業追従記事はでても不利な記事はなかなかでないようである。都市部が発端となった雪印事件は市民を巻き込んだこともあり瞬く間に追求の火の手が広がっていった。

さて食中毒とくれば離島での食物の入手と安全性が気になるところである。我が家では食物の大半は生協に頼っている。転入して来た人は私の見るところ殆ど生協に加入している。

私たちが引っ越してきた頃と今でも地元で買い物をする店に変わりはない。しかし当時は生鮮品類などの品揃えが少ない、なかばいたんだものもまだ陳列してあるという状態だった。牛乳などは賞味期限の切れた売れ残りがかなりながく売り場にあった(いまは改善が進んでいる)。また台風などで船が欠航すると店に品物が並ばないときもある。

健康は田舎暮らしを楽しむための大関心事である。特に食べ物には注意する。食物の安全性多様性と確保安定性、これが島へ来てからの課題だった。  

品数の多様さと安全感これが我が家が生協を利用しはじめた理由である。生協には流通販売の機能の他に製品の安全チェック機能がある。地元店でもあるかもしれないがこだわり方が格別のように感じられる。

でも都市部にいたら大手スーパーで買う。安いし管理が行き届いていると安心しているから。しかしここでは生協の方が割安で安心感もある。だから離島では食品については一部を除きこれから生協に席巻されるのではないかと思うことがある。

さて雪印のことである。会社の安全管理の風化というのは私の経験するところ大体ああいうものである。あの原子力燃料のJCOもしかりだろうと思う。それが良いといっているのではない。

会社はその仕事をはじめるときは作業基準、管理基準を定め誠実にそれを実行しようと誓う。そしてそれを誠実に実行する人がいる。それが定着し事業が軌道にのると会社はその成果の最大化を図ろうとする。経営陣が効率化、原価低減、利益の向上を現場に要求するようになる。

おかしくなるのはそのとき現場の長など上に立つものにただただ経営陣に追従する者がいるときである。会社のためといって自分の出世欲を隠しつつ何としても成果をだそうと基準を軽視無視の方策を正当化するように圧力をかける。

誠実な人が基準との乖離を指摘しても社長がお求めである、前提を再考したブレークスルーが会社を発展させる、今の基準は過去の技術で出来ている、ためして問題なければ良いではないか、会社が発展しなくていいのか。そうして危惧を持った人たちは口を封じられていく。吟味されない方策が日常化していく。

「品質は良心」の経営者は現場を信頼していたという。裏切られたと思っている。本当は経営者に良心がない。だから下がそれにならうのである。皆自分がかわいい。上に立つ者によって会社や職場の雰囲気は決まるものである。雪印でも経営陣が乱暴なことを言って下を督励していたのは想像に難くない。まあ経営者に良心があったと認めてもいい。それでも追従者を引き立てた自分の非が自分に跳ね返ってきたことは理解すべきである。


 
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