屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.08  屋久島(8):心をこめること (H12.07.04)

私が今年やめたホテルのスローガンは「もう一度行きたいホテルNo.1になろう」だった。そして「心をこめたおもてなしをしよう」とことあるごとに言われていた。

心とはなんぞや。昔からいろいろな人たちが考え研究して来た だが今もって解らないのが心だ。心はどうやったらこめられるのか。自分の心も解らぬ人にこめよと言っても無理だ。

要は人があるいは自分が不愉快に思うことをしなければよいのである。こころ、こころと言って人を責め人が不愉快にならないようにするすべをきちんと教えることができないのが問題なのである。

まあ少しは教える。耳にたこができるほどしっかり挨拶をせよばかりだ。しかし支配人は従業員に挨拶されても挨拶をかえさない。それが従業員に納得されない。支配人が従業員に挨拶しろとはいわない。上に立つものが全員に挨拶をしていたらそれだけでくたびれる。社員同士はすれちがったら目礼で良いのだ。それを教えれば良い。

従業員は心をこめよと言われる。支配人は玄関で客の応対をするときには丁寧にそしてぺこぺこしている。でも社員同士でさえもきちんと挨拶をといっているのに支配人は従業員には挨拶を返さない。従業員は表裏があるとそれを見る。

そして従業員も表裏のある行動が常となる。従業員は従業員食堂以外で禁煙との支配人通達がある。しかし総務課が他の場所に煙缶をおいて吸殻はここに入れよと掲示する。お膝元で謀反を起こしている。だから規律が徹底しない。

心という解らぬもので人を働かせようと思っても無理がある。客商売表裏があるのは当り前だ。そのやり方即ち客に不愉快を感じさせないやり方を従業員に教え訓練すれば良いのである。

会社は屋久島以外でもずっと以前からホテルをやっている。何をどのようにすればお客さんが満足し、してはならないことはこれこれである。そういうこのホテルの歴史と経験から編み出された具体的な心得集が蓄積されていないとおかしい。だが私の見るところ心をこめるということ以外ないらしい。

行動に温かみを与えるのはその人の教養である。それを心と言うなら従業員に具体的行動基準や作業基準をきっちり訓練しその背景にある気持ちの持ち方に共感させることが上にたつ者のつとめである。

ところでスローガンの「もう一度来たいホテルNo.1になろう」のことである。ホテル経営の実態は宣伝に金を使いエージェントに手数料を払い一回こっきりの客を集めそれなりの金を使わせることで成り立っていると私は見る。実際リピーターの定着で経営を安定化させるには観光地では無理がある。それは都市ホテルの発想である。スローガンはお客へ「心をこめたおもてなしを」の言い換えにすぎない。

スローガンと経営実態はマッチしていない。何ヶ月以内の再来率目標はどうで実績はどうだったというのを聞いたことがない。だから再来率を上げる具体的方策も耳にしたことがない。ただ心をこめようとしているように見える。


 
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